第1063回 2010年アフリカ選手権(4) フランスから独立した国は低調

■グループリーグを突破したフランス勢は半数以下の24人

 前回の本連載ではフランスのクラブからアフリカ選手権に出場している選手について量的な面から紹介したが、今回はその質的な側面から分析してみよう。
 まず、59人の選手のうちグループリーグを突破することができたのは半数以下の24人であった。フランスから独立した国は今回8チームが出場し、そのうち決勝トーナメントに進んだのはアルジェリア、コートジボワール、カメルーンの3か国、さらに11人を擁するマリ、9人を抱えるガボンとベナンがグループリーグで敗退したことから、このような数字になった。

■フランスから独立した国が優位となるのは1980年代半ば以降

 今大会の決勝はエジプトとガーナの間で行われたが、歴史を紐解くと、この大会の初期はアラブ諸国または英国から独立した国が上位を占めていた。第5回となる1965年のチュニジア大会は初めてフランス語圏で行われた大会であり、開催国チュニジアはフランスから独立した国として初めて決勝に進出している。フランスから独立した国として初優勝を成し遂げたのが1976年の第10回大会でのモロッコであった。(エチオピアで行われたこの大会は大会史上唯一リーグ戦方式で優勝を争った。)
 フランスから独立した国が優位に立つようになったのが1984年にコートジボワールで開催され、カメルーンが優勝した第14回大会である。第13回大会までを前半、第14回大会以降を後半とすると、フランスから独立した国の優勝回数は、前半は13大会中2回、後半は14大会中7回と明らかな違いがある。
 フランス以外から独立した国同士の決勝は最近では珍しいケースであり、第21回大会となる1998年のブルキナファソ大会でのエジプト-南アフリカ戦以来のことである。また、フランスから独立した国で4強に残ったのは、大会前の評価が最も低かったアルジェリアだけであった。過去2大会の優勝はエジプトであったが、決勝の相手は前回大会がカメルーン、前々回の大会はコートジボワールである。そして3大会前はチュニジアとモロッコと言うフランスから独立したマグレブ諸国同士の戦いであった。

■フランスリーグに所属するフランス語圏以外の有力選手

 前回のワールドカップに出場したトーゴが大会前の銃撃事件で出場を取りやめたこともフランスのサッカーファンにとっては打撃であり、さらにフランスから独立した国の成績は低調であった。にもかかわらず、今年の早春もフランスのサッカーファンはアフリカの大地で繰り広げられる大会に釘付けになった。
 この大会にフランスリーグから出場する有力選手はマルセイユのタイエ・タイウォ(ナイジェリア)、レンヌのアサモア・ギャン(ガーナ)、2部のアルル・アビニョンのアンドレ・アイェウ(ガーナ)など不思議なことにフランス語圏以外の国の選手が目立つ。
 フランス語圏の選手は若手選手が多く、2部以下のチームに所属していたり、1部のクラブの場合は控えに甘んじていたりするケースが多い。

■フランスリーグを卒業したフランス語圏の選手たち

 むしろ目立つのはフランスリーグを卒業し、プレミアリーグやリーガエスパニューラのチームに移籍した選手である。2003年のコンフェデレーションズカップでも活躍したカメルーンのアシール・エマナは、7年間所属していたトゥールーズを2008年に離れ、スペインのレアル・ベティスに移籍している。
 例えば、マリのセイドゥ・ケイタ、1999年にブルキナファソで開催されたワールドユースの最優秀選手である。当時はマルセイユに所属し、その後ロリアンやランスに所属したが、2007年にはスペインのセビリアに移籍、その翌年にはバルセロナへと世界有数のクラブへ移っている。
 2大会連続でアフリカ選手権出場となるアルジェリアのカリム・ジアニは、フランス生まれで昨年までマルセイユに所属していた。しかし、現在はドイツのウォルフスブルクに移籍してしまった。同じくアルジェリアのマジド・ブゲラもフランス生まれであり、グーニョンにかつては所属していたが、ドーバー海峡を渡り、プレミアリーグでの活躍を経て、現在はスコットランドのグラスゴー・レンジャーズに所属している。
 このようにフランス語圏出身でフランスのクラブでプロデビューし、欧州の他国のビッグクラブに移籍した選手の活躍を見るのもフランスのサッカーファンの楽しみなのである。(続く)

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