第2653回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (11) 自らのルーツのスペインを目指し、予選に臨む

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■ワールドカップ終了後に新人を起用しなかったミッシェル・イダルゴ監督

 12年ぶりのワールドカップ本大会、1勝2敗という結果で一次リーグ敗退となったフランスであるが、大会後にミッシェル・イダルゴ監督は4年間の任期延長、1982年ワールドカップスペイン大会を目指すことになった。
 ワールドカップ終了後、最初の試合が1978年9月1日に行われた1980年欧州選手権予選のスウェーデン戦であった。マリウス・トレゾール、ミッシェル・プラティニなどが負傷のため離脱したが、ミッシェル・イダルゴ監督は先発11人中9人はワールドカップに出場したメンバーを起用、残る2人もワールドカップ前に本大会のメンバーから外れた選手であり、新人はいなかった。さらにアンリ・ミッシェルに主将を任せ、イダルゴ監督は就任2年間で確固たる地盤を築いた。ホームのこの試合で引き分けたことが響き、最終的にフランスはチェコスロバキアに競り負けてイタリアでの本大会(当時は8か国が出場)に出場することができなかった。

■1980年代の3大会で素晴らしい成績を残したフランス代表

 イダルゴ監督の目標はスペインでのワールドカップであった。スペインにルーツを持つイダルゴ監督としては特別な思い入れのあるワールドカップである。
 1982年のワールドカップ、そしてその2年後の1984年欧州選手権でのフランスの活躍については本連載ではしばしば取り上げてきたので、今回は紹介を控えておこう。
 その代わりに注目したいのが、イダルゴ監督の予選終盤での大一番での強さである。1978年アルゼンチン大会は予選最終戦で勝ち点で1上回るブルガリアとパリで直接対決、この試合で勝利して本大会に出場したことは第2648回の本連載で紹介した通りであるが、1982年大会、1986年大会予選でも終盤の大一番を制して本大会に出場している。

■本大会出場国が24、欧州からの出場国が13に拡大した1982年スペイン大会

 1982年のスペイン大会は本大会に24チーム出場することができるようになった。5割増しとなり、欧州からの出場国は開催国のスペインを含めて13チームとなった。欧州予選は33チームが出場し、5チームのグループが6つ、3チームのグループが1つに分けられる。5チームのグループからは上位2チーム、3チームのグループからは上位1チームが本大会への出場権を得る。トップ以外のチームも本大会に出場できるようになったのはこの予選が最初である。フランスはグループ2に入り、第1シードはオランダ、第2シードがフランス、第3シードがベルギー、第4シードがアイルランド、第5シードがキプロスである。

■キプロスにアウエーで大勝、アイルランドにも連勝したフランス

 フランスの予選初戦は1980年10月11日、アウエーのキプロス戦である。このキプロス戦は現地時間で14時キックオフという変則的な時間に行われる。イダルゴ監督はこの時間帯での試合に慣れるため、現地に4日前に到着し、毎日14時に練習を行うという念の入れようであった。先発には2年前のアルゼンチンワールドカップに出場したメンバーが7人、それ以降に代表入りしたメンバーがジャン・ティガナ、ジャン・フランソワ・ラリオ、レオナール・スペクトの3人である。この試合は7-0と大勝し、当時のアウエーでの最多得点記録となった。
 第2戦はアイルランドをホームに迎えた。アイルランドは試合消化が早く、この時点で2勝1分、ホームで第1シードのオランダにも勝利している。このアイルランド戦ではフランスは2-0と勝利する。フランスは前半戦に2試合しかなく、勝ち点4のまま折り返す。そして前半戦にもたついたのが第1シードのオランダである。初戦でアイルランドに敗れ、第2戦でもベルギーに敗れる。ようやく第3戦でキプロス相手に勝利し、初めての勝ち点をあげた。一方、試合を規則的に消化し、勝ち点を重ねたのがフランスの伝統的なライバルのベルギーであり、初戦でアイルランドに引き分けた以降は3連勝、勝ち点7で折り返す。2位でも本大会出場という状況でフランスとオランダがこのグループ2の後半の主役となるのである。(続く)

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