第478回 フェドカップで活躍する女子テニス(2) ローラン・ギャロスの決勝でロシアに敗れる

■日程が大きく変わった2005シーズン

 2年連続してフェドカップ決勝に進出したフランス、女王の座への復活を期す2005年の大会は大会方式が変更し、8チームによるトーナメントとなった。4月に1回戦を行い、ウィンブルドンの終了した翌週の7月初めに準決勝、そして全米オープンの終了した翌週に決勝を行うというスケジュールになった。有力選手についてはビッグトーナメントの直後の準決勝、決勝ということから微妙な日程となった。

■1回戦、準決勝を危なげなく突破

 フランスは1回戦でオーストリアとアウエーで対戦した。ペルトシャッハのアウトドアのクレーコートで行われた。初日のシングルスではナタリー・デッシーが敗れたものの、ビルジニ・ラッツァーノが勝利して1勝1敗で2日目を迎える。2日目はシングルスでラッツァーノとデッシーが連勝し、準決勝進出を決め、最後のダブルスもラッツァーノとデッシーがペアを組んで勝利する。
  続く準決勝の相手はスペイン、フランスと同様にクレーコートを得意とする国である。フランスのホームゲームとなり、フランスが指定した開催地は南仏のエクス・アン・プロバンス、そしてサーフェースはハードコートであった。フランスはマリー・ピエルス、アメリー・モーレスモを軸とするチーム編成である。直前のウィンブルドンでピエルスは混合ダブルスで優勝、モーレスモは第3シードになり準決勝に進出している。この好調な2人がエクス・アン・プロバンスでもその力を見せ付けた。初日のダブルスで連勝、2日目のシングルスの初戦でモーレスモがストレート勝ちして決勝進出を決めたのである。

■フェドカップ史上最多の観衆の前で、ロシアと決勝戦

 決勝の相手はロシアとなった。3年連続でこれが8回目の両国の対戦となる。思い起こせばロシアの前身のソ連とフランスの最初の対戦は1985年の準々決勝のことである。当時は決勝トーナメントを一国で集中開催していたため、名古屋での初対決となり、この時の軍配はソ連に上がった。近年になって対戦頻度が増し、1999年以降は2002年を除き、昨年まで5回対戦している。通算成績はロシアが4勝3敗と勝ち越しているが不思議なことに連勝はない。つまり昨年ロシアが勝利していることから、今年はフランスが勝利する番である。さらに今年はホームゲームで赤土のローラン・ギャロスが舞台であり、フェドカップ史上新記録となる1万5000人の観衆が連日足を運んだ。
  そしてフランスのメンバーはピエルスとモーレスモが軸である。直前に行われた全米オープンでドローのいたずらであろうか、準々決勝で第3シードのモーレスモと第12シードのピエルスが対戦している。このフランス勢同士の戦いを制したピエルスは決勝に進出した。決勝でベルギーのキム・クライシュテルに敗れたが、ピエルスにとって5年ぶりのグランドスラムでの決勝進出である。
  一方のロシアチームは人気者のシャラポワはいないが、全米オープンで活躍したエレーナ・デメンティエバが中心のメンバー構成である。実は前の週まで行われた全米オープンの準決勝では第12シードのピエルスが第6シードのデメンティエバを破っているのである。そしてその翌週の決勝の最初の試合はなんとピエルスとデメンティエバとの対戦である。しかしこの開幕戦はその前週に米国で繰り広げられたのとは大きく違った展開となった。第1セットからタイブレイク、この接戦をピエルスは落としてしまう。フルセットの末、ロシアが先勝し、シングルスの第2試合ではフランス側からはモーレスモが出陣した。全米オープンでは不本意だった成績のモーレスモが名誉挽回とばかりにアナスタシア・ミスキナに勝ち、初日は1-1のタイスコアで2日目を迎える。

■好調なメンバーをつぎ込んだ最後のダブルスでロシアが競り勝つ

 2日目のトップはモーレスモとデメンティエバという初日に勝利をあげている選手同士の戦い。フルセットの接戦の末、デメンティエバが勝利、ロシアが王手をかける。しかし、フランスはピエルスがミスキナに第1セットを奪われながらも逆転勝ち、最後のダブルスで優勝を争うことになった。
  両チームともこのダブルスでは当初予定していたメンバーを入れ替えた。フランスはデッシーに変えて勢いに乗るピエルスを起用、モーレスモとペアを組む。ロシアはこの2人に全てを託す。一方のロシアはサフィナ・ドゥシェビナに変えシングルスで2勝をあげたデメンティエバを起用、19歳のディナラ・サフィナとのコンビである。第1セットをロシアが先取、フランスも第2セットを取ったが、ファイナルセットでロシアが競り勝ち、ロシアが2年連続の優勝を果たし、フランスは赤土のホームコートで涙を飲んだのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ