第1806回 JE SUIS CHARLIE 私はシャルリー(2) スポーツ界にも広がるJE SUIS CHARLIE

 このたびパリ並びにパリ近郊で起こった銃撃事件の犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、サッカー界での人種差別についてしばしば取り上げている本連載に対する読者の皆様からのご支援に感謝いたします。

■多くの選手が悲しみと怒りを情報発信

 1月7日のシャルリー・エブドへの襲撃事件は国内外に多くの衝撃を与えた。そして多くの人がソーシャルメディアなどを利用して自らの心情を吐露し、共有した。スポーツは社会の公器であり、スポーツマンは社会に対して大きな影響を与える。
 今回の事件はシャルリー・エブド誌がイスラムの神であるムハンマドを風刺し続けてきたことが原因であるが、スポーツ界にも多くのイスラム教徒がいる。そのイスラム教徒の選手もこの事件に大きな悲しみと怒りを感じている。ナンシーに所属するユスフ・ハジはクラブの公式twitterに「私はイスラム教徒であるが、大きく失望している」とメッセージを残し、ユニフォームに「JE SUIS CHARLIE」のロゴのシールを張り付けた写真をアップしている。
 多くのスポーツ選手がメッセージを残したが、特筆すべきはラグビーのフランス代表主将のティエリー・デュソトワールであろう。ハフティングトン・ポストのブログに長文を寄稿し、フランス人の父親とコートジボワール人の母親の間に生まれ、コートジボワールからフランスに渡ってきたデュソトワールは発音に訛りがあり、皮膚の色が違う自分を受け入れてくれたフランスに対する感謝から始まり、ラグビー選手として、一市民として何ができるかを自問している。

■JE SUIS CHARLIEのメッセージで埋まったサッカー場

 年末年始の中断のあったサッカーのフランスリーグは1月9日から再開されたが、ピッチを取り囲む看板は、通常は大企業の美しい広告が煌びやかに流れるが、この日は黒字に白の「JE SUIS CHARLIE」の文字が力強く流れる。試合前は選手たちは黒地に白で「NOUS SOMMES CHARLIE 私たちはシャルリー」と染め抜かれたTシャツでアップを行う。キックオフ前にはセンターサークル上で両チームの選手、審判が交互に肩を組み、黙祷を行う。そしてスタンドには無数のファンが「JE SUIS CHARLIE」のプラカードを掲げる。電光掲示板には犠牲者を悼むメッセージや写真が投影される。このような中で試合が行われる。
 そして忘れてはならないにはクラブチームの試合であるにもかかわらず、多数の三色旗がスタンドで振られ、時として国歌「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が沸き起こったことである。この襲撃事件は自由、平等、博愛をモットーとするフランスという国に対する威嚇である。犯人たちは出自は外国とは言え、フランスで育ち、フランスで生活してきた。彼らが同じフランスの言論機関を襲撃し、その翌日には一般市民も犠牲になっている。このような行為が行われたことに対し、国民がフランスの危機を感じ、三色旗を持ってスタジアムに集まり、ラ・マルセイエーズを合唱したというわけである。

■他のスポーツ会場でもJE SUIS CHARLIE、世界に広がるJE SUIS CHARLIE

 このような光景はサッカー場だけではなく、週末に行われたラグビー、バスケットボールなどでも同じようにユニフォームに「JE SUIS CHARLIE」の文字が張り付けられて選手たちはプレーした。また、ショーヌーブで行われたスキー複合のワールドカップではジャンプのゲレンデに「JE SUIS CHARLIE」の文字が書かれ、選手たちはその上をジャンプしたのである。
 さらにこの動きはフランス国内だけとどまらなかった。スペインのバルセロナのカンプノウで、マドリッドのサンチャゴ・ベルナベウで、英国のロンドンのエミレーツスタジアムで、イタリアのローマのオリンピック競技場で選手は「JE SUIS CHARLIE」の文字の入ったシャツを着用し、ファンはプラカードを掲げたのである。また欧州だけではなく、米国ではNBAのコートに「JE SUIS CHARLIE」の文字の入ったシャツで選手が現われ、カナダのNHLではリンクで「ラ・マルセイエーズ」が流された。

■スポーツ団体のトップもデモ行進に参加

 そして1月11日のパリでのデモにはフランスラグビー協会のピエール・カヌー会長、フランスプロサッカーリーグのフレデリック・ティリエ会長、ワールドラグビーのベルナール・ラパッセ会長が腕を組んで行進し、パリサンジェルマンのカタール人のナセル・アル・ケレフィ会長とベルトラン・ドラノエ元パリ市長も参加したのである。
 スポーツ関係者が、一市民として活動したこの週末、「JE SUIS CHARLIE 私はシャルリー」が「NOUS SOMMES CHARLIE 私たちはシャルリー」になり、さらに「ILS SONT TOUS CHARLIE みんなシャルリー」になったのである。(この項、終わり)

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