第1990回 試練の続くラグビーフランス代表 (2) 主将ティエリー・デュソトワール、代表から引退

 5年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■7人が選ばれたギ・ノベ監督のトゥールーズ

 トゥールーズ一筋で選手、監督を務めてきたギ・ノベが新監督に就任、1月末に発表された今年の6か国対抗に臨むメンバー31人の中にトゥールーズの選手が7人も選出された。この時点でトゥールーズはフランスリーグの1部に相当するTOP14でラシン92、クレルモンと勝ち点38で首位に並んでいるが、ラシン92からは5人、クレルモンからは4人であり、明らかにトゥールーズ偏重のメンバー選考であった。

■フランス南西部で育ったティエリー・デュソトワール

 しかし、この中にティエリー・デュソトワールの名前がない。コートジボワールのアビジャンで生まれたデュソトワールは10歳の時にフランス南西部のペリグーに移り住む。人種差別に悩まされた幼少時代を経験したが、ラグビーの盛んな南西部であったこともあり、青年期にラグビーに出会い、当時2部のペリグーと契約する。学業成績も優秀でボルドーの物理化学系のグランゼコールに入学する。ボルドーに移り住んだデュソトワールは1部のボルドー・ベグルと契約しプロとして試合に出場し始める。その後、コロミエ、ビアリッツという強豪チームに移籍し、ビアリッツでは国内優勝2回、欧州カップでは準優勝を果たし、2006年からはトゥールーズに所属している。トゥールーズでは国内優勝3回、欧州カップ優勝2回という栄光を経験している。

■代表出場80試合中56試合で主将を務めたキャプテンシー

 代表チームに入ったのは2006年、3度のワールドカップに出場し、重ねたキャップ数は実に80、そして特筆すべきはそのうち56試合で主将を務めていることである。2011年のワールドカップにおけるたぐいまれなるキャプテンシーなしにフランスは決勝に進出することも、そして優勝したニュージーランドを追い詰めることもできなかった。
 2011年のワールドカップ、2010年の6か国対抗のグランドスラムがフランス代表のピークで、前回の本連載で紹介した通り、昨年のワールドカップでは惨敗、ニュージーランド戦の13-62の敗戦はワールドカップの歴史において決勝トーナメントでは最多得点差での敗戦となる。また6か国対抗でも4年連続Bクラスとファンの期待を裏切るような成績のチームの主将として多くの物を背負ってきたデュソトワールもすでに34歳となった。ワールドカップの終了後の12月初めにデュソトワールは代表からの引退を表明した。

■注目の7人制からの転向、ビリミ・バカタワ

 デュソトワールの後に主将となったのはフッカーのギレム・ギラドである。昨年のワールドカップではイタリア戦、カナダ戦、アイルランド戦、そしてニュージーランド戦では先発メンバーとして起用されており、それまでディミトリ・サルゼウスキーとバンジャマン・カイザーが1番手と2番手だったポジションをワールドカップになって奪った実力者であり、トゥーロンに所属している。
 また、今回の31人のメンバーのうち9人はこれまで代表戦に出場したことのないメンバーである。プロップのバンサン・ぺロとジェファーソン・ポワロ、フッカーのカミーユ・シャ、ロックのポール・ジェドラジアック、フランカーのヤクバ・カマラ、スクラムハーフのセバスチャン・ベジ、センターのジョナタン・ダンティ、ウィングのビリミ・バカタワというメンバーである。
 最大の注目選手はバカタワであろう。日本のファンの方ならばバカタワの姿を見たことがあるかもしれないであろう。7人制の選手として活躍し、東京セブンズでも活躍している。ニュージーランド生まれでフィジー国籍のバカタワはニュージーランドで13人制の選手としてプレーしていたが、フランスのクラブに所属するフィジー人選手の目に留まり、ラシン92へ移籍する。最初は15人制でプレーしていたが、オリンピック競技となった7人制を強化するために2014年からは協会所属で7人制に専念、オリンピック出場のために必要なフランス国籍も取得する。7人制ラグビーのリオデジャネイロオリンピック出場権獲得については本連載でも紹介したが、ここでの活躍を低迷する15人制の代表チームが見逃すわけはない。所属チームなしという異例の状態で代表入りしたのである。(続く)

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