第2420回 最後の王座を逃したフランス(2) 13年ぶりの四銃士抜きのデビスカップチーム

 7年前の東日本大震災、一昨年の平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■層の厚さを誇るフランスデビスカップチーム

 2月初めに行われた1回戦では負傷者が相次ぎ、試合前日の夜にチームに合流したアドリアン・マナリノがATPランキングで300位以上離れている格下の選手に第1ラバーでストレート負けするという波乱でフランスデビスカップチームは今年最初の試合を落とした。しかし、その後挽回し、3日目の第1試合、第4ラバーとして出場したマリアノは4時間15分の長時間の戦いを制して、2回戦に進出した。
 マリアノは世界ランキングで25位であったが、実はこれが初めてのデビスカップチームでの勝利であり、ヤニック・ノア監督の下で勝利をあげた10人目の選手となった。これはフランスの男子テニス選手の層の厚さを物語っている。これがデビスカップで近年のフランスが好成績を残している理由と言えるであろう。

■3年連続準々決勝進出の原動力、ファニオ・フォニーニ

 さて、4月最初の週末に2回戦に相当する準々決勝が行われた。準々決勝の相手はイタリアである。1回戦では盛岡でイタリアを下したことから、日本の皆様もよくご存じのチームであろう。デビスカップ優勝はワールドグループ発足前の1976年だけであり、今世紀に入ってからはワールドグループから遠ざかっていたが、2012年にワールドグループに12年ぶりに復帰してからはワールドグループに留まり、今年で3年連続の準々決勝となる。
 フランスとの対戦成績は1925年を最初にこれまで10回対戦、ちょうど5勝5敗という語部の成績であり、最後の対戦は1996年の準決勝、ナントのインドアでの対戦はフランスが3勝2敗と競り勝ち、決勝に進んでいる。
 前回の対戦がフランス国内であったため、今回の対戦はイタリアで行われ、イタリアはジェノバのアウトドアのクレーコートを会場として選んだ。イタリアのメンバーはシングルスがファビオ・フォニーニとアンドレアス・セッピ、ダブルスがシモーネ・ボレリとフォニーニである。この中でフォニーニは1回戦では金曜日のシングルス第1ラバーでダニエル太郎、日曜日のシングル第4ラバーで杉田祐一をいずれもフルセットの末に下しているだけではなく、土曜日のダブルスもボレリと組んでマクララン・ベンと内山靖崇のペアを下すまさに大車輪というべき存在である。デビスカップはシングルス、ダブルスで絶対的な力を持つエースがいれば、1人で3勝を稼ぐことができる。

■四銃士不在のフランスのエース、ルカ・プイユがまず1勝

 一方のフランスはシングルスはルカ・プイユとジェレミー・シャルディ、ダブルスはピエール・ユーグ・エルベールとニコラ・マユというメンバーであり、四銃士(ジョー・ウィルフリード・ツォンガ、ジル・シモン、リシャール・ガスケ、ガエル・モンフィス)抜きのチーム構成となった。過去13年間のデビスカップでは四銃士のいずれかがチームにいた。
 四銃士不在の中でエースはATPランキング11位のプイユである。デビスカップに特別な思いを持つプイユは4月6日の金曜日、第1ラバーに出場し、イタリアのナンバー2のセッピと対戦する。2セットを連取した後、2セットを奪われたが、最終セットを取って、まずはフランスが先勝する。

■これまでデビスカップで5戦全勝のジェレミー・シャルディ、イタリアのエースに敗れる

 第2ラバーに出場したシャルディは今まで3回デビスカップチームに選出され、過去の戦績は5戦全勝、しかもすべてクレーコートである。クレーのデビスカップとの相性で選ばれ、第2ラバーでイタリアのナンバーワン、フォニーニと対戦する。第1セットをタイブレークで先取、第2セットも2ゲームを連取したが、シャルディはここから崩れてしまう。6ゲームを連取されて第2セットを失うと、第3セット、第4セットもいずれも2ゲームしか獲得することができず、イタリアのエースの前にデビスカップでの初黒星を喫したのである。
 ノア監督はこの戦いはフランス対フォニーニではない、フランス対イタリアである、と発言したが、四銃士なきフランスにとって相手のエースの存在は大きいのである。(続く)

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