第95回 アジアで活躍したフランスのクラブの選手(7) 栄光のファイナリストたち

■3人のファイナリストたち

 第89回から第94回の本連載で世界各国からフランスリーグに集う選手のワールドカップでの活躍を紹介してきた。フランスのクラブチームが欧州カップで上位進出を果たせなくなって久しいが、今回のワールドカップでの各選手の活躍でフランスリーグのチームに魅力ある選手がいることが証明できた。注目すべきことに横浜で行われた決勝戦に残ったブラジル、ドイツの両チームにフランスのクラブに所属する選手がいた。ファイナリストとなった両チームに選手を輩出しているリーグはフランスリーグ以外にはドイツリーグしかない。

■国内リーグとワールドカップを制したエジミウソンとベテランのビアホフ

 ブラジルのロナウジーニョとエジミウソン、ドイツのオリバー・ビアホフが栄光のファイナリストである。パリサンジェルマンのロナウジーニョ、リヨンのエジミウソンの2人は横浜での決勝戦に出場し、見事に世界の頂点に立った。ロナウジーニョの活躍については本連載第93回で紹介したため割愛するが、エジミウソンはリーグも制覇し、ワールドカップでも優勝しており二冠を獲得している。23人の優勝メンバーのうち多くは欧州のビッグクラブに所属しているが、ワールドカップ前に終了したリーグ戦も制覇した選手はエジミウソンただ1人である。(ブラジルのアトレチコ・パラナエンセに所属するクレベルソンは昨年の全国選手権の優勝メンバーである)
 モナコに所属するベテランのビアホフは初戦のサウジアラビア戦では後半に長身のカルステン・ヤンカーに代わって出場し、84分にはグラウンダーのシュートを放ち、チームの7点目を決めた。続くアイルランド戦もヤンカーと交代してピッチに入り、得点こそ生まれなかったが、果敢にゴールを狙った。決勝トーナメントに入ってからは準々決勝の米国戦の終了間際、準決勝の韓国戦は0-0で迎えた70分、決勝は1点のビハインドを追う74分に、いずれもミロスラフ・クローゼに代わり最前線に位置した。得点ランキングの上位に位置していたクローゼに代わって試合に出場したと言うことは、いかにビアホフがチームの勝利にとって貴重な存在であるかを象徴しているであろう。

■フランス大会決勝の9人のファイナリスト

 さて、前回大会を制したフランス代表には、フランスのクラブに所属する選手が9人いた。モナコのファビアン・バルテス、ティエリー・アンリ、ダビッド・トレゼゲの3人、オセールのリオネル・シャルボニエ、ベルナール・ディオメド、ステファン・ギバルッシュの3人、マルセイユのローラン・ブラン、クリストフ・デュガリー、メッスのロベール・ピレスである。9人のうち連続出場を果たしたのはモナコの3人にデュガリーを加えた4人だけである。また今回もフランスのクラブに所属しているのはデュガリー(ボルドー)だけである。
 決勝の相手のブラジルにはフランスのクラブに所属している選手はいなかったが、フランスのクラブの選手が9人もファイナリストになったのは過去最高のことである。

■5大会連続してファイナリストを生んだフランスリーグ

 フランスが本大会に出場できなかった1994年の米国大会、1990年のイタリア大会でも決勝戦に進出したチームにフランスのクラブに所属している選手がいた。まず、1994年大会で優勝したブラジルにはパリサンジェルマンに所属していたライー、ボルドーに所属していたマルシオ・サントスが名を連ねている。ライーは大会途中で出場メンバーから外れたが、マルシオ・サントスは決勝戦で120分間戦い抜いた。
 1990年大会では優勝こそ逃したものの、アルゼンチンにはパリサンジェルマンのガブリエル・カルデロンとナントのホルヘ・ブルチャガがおり、ローマのオリンピックスタジアムで西ドイツ相手に戦った。ブルチャガは1986年大会の際もナントに所属し、フランスリーグに所属している選手として初めてワールドカップを制覇した選手となった。歴史をさかのぼると、最初にフランスのクラブに所属していた選手が決勝戦に出場したのは1938年のフランス大会のことである。コロンブで行われた決勝でイタリアに敗れたハンガリーのフェレンク・シャシュはアレスに所属している選手であった。
 1986年大会以降、5大会連続してファイナリストにはフランスのクラブに所属している選手がいることになる。ボスマン判決をはさんだ期間の5大会連続、ということは非常に大きな意味がある。ボスマン判決以前は外国人枠が存在していたこと、欧州域内の外国人枠が撤廃されたボスマン判決以降は有力選手がごく一部のビッグクラブに集中したことを考えれば、5大会連続してファイナリストを生んだフランスリーグはもっと高く評価されるべきであろう。(続く)

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