第576回 無敵艦隊スペインと対戦(2) スペインに特別な思いを持つ監督と主将

■今回は本物か、無敵艦隊

 フランスが決勝トーナメント1回戦で対戦するスペインは2002年のワールドカップ終了後、4年間で負けたのはわずかに2試合、さらに2004年の欧州選手権移行は負け無しというすばらしい成績である。ところが、近年のスペインは本大会までの成績はよくても本大会で突然崩れていた。1998年大会は第1戦のナイジェリア戦に敗れ、第2戦はパラグアイとスコアレスドロー、第3戦はブルガリアに6-1と大勝したが、グループ3位にとどまっている。2002年大会は予選での好調さを保ってグループリーグこそ3連勝し、決勝トーナメント1回戦でもアイルランドを下したが、準々決勝で地元韓国に敗れている。
 本大会までは無敵でも本大会が始まると程なく沈没していた無敵艦隊であるが、今回のドイツでの戦いぶりは違った。スペインはグループリーグ3試合のボール支配率はなんと60%、完全に相手を圧倒する戦いぶりである。今度の無敵艦隊は本物であるという印象を誰しもが持っているであろう。

■スペイン・カタルーニャ地方出身のドメネク家

 フランスチームの中でスペイン戦に特別な思いを持っている男が2人いる。まずその1人はレイモン・ドメネク監督である。ドメネクという姓はスペインの姓である。さらに言うならば、スペインと言ってもバルセロナを中心とするカタルーニャ地方の苗字である。日本では2003年に大規模な展覧会が行われたことから、アントニオ・ガウディを読者の皆様はよくご存知であろう。そのガウディと双璧をなす建築家がルイス・ドメネク・イ・モンタネールである。サグラダ・ファミリア教会の建築に一生をささげたガウディと対照的に3歳年長のドメネク・イ・モンタネールは1888年に行われたバルセロナ万国博覧会でパビリオンやレストランなど数多くの作品を手がける。そして代表作は20世紀初頭に作られたカタルーニャ音楽堂であろう。ドメネク・イ・モンタネールはバルセロナ建築学校の校長、国会議員などの要職につくなどバルセロナ、スペインを代表する建築家となったのである。

■人民戦線の戦士として戦ったドメネク監督の父

 そのドメネク・イ・モンタネールと同姓のドメネク監督はスペイン人の父を持つが、このドメネクの父はカタルーニャ出身でスペイン内戦時にはフランコ独裁政権に立ち向かった人民戦線の戦士であった。フランコ政権はドイツ、イタリア、ポルトガルなどから支援を受け、反政府軍である人民戦線は内戦が激化すると政府をカタルーニャ地方の中心であるバルセロナに移転する。人民戦線側は消耗し、結局はフランコ政権がない繊維勝利するが、これが今に続くマドリッドとバルセロナの対立の源となっているのである。
 人民戦線側の戦士は他国に流れたが、ドメネクの父も例外ではなかった。祖国を捨て、リヨンで平穏な生活を送ることになったドメネク家からその後フランス代表選手となり、フランス代表監督が生まれたのである。ドメネクの父は自らの息子がフランス代表監督となるのを知らず、1998年にその生涯を終えるが、ドメネクにとってつねにスペイン、特にバルセロナは心の故郷であった。
 フランス代表のスペインとの対戦は2001年3月28日の親善試合以来のことであるが、ワールドカップでの対戦は予選、本大会通じて初めてのことであり、ドメネク監督はそのような記念すべき試合の指揮を執るという名誉を得た。

■敵味方にいる7人のマドリッドの選手

 相手のスペインにはドメネクの心のふるさとのバルセロナに所属する選手がカルルス・プジョル、シャビ、アンドレス・イニエスタの3人、そして複雑な感情を持たざるを得ないマドリッドについては、レアル・マドリッドからイケル・カシージャス、ミッチェル・サルガド、ラウル・ゴンザレス、アトレチコ・マドリッドからはフェルナンド・トーレス、パブロ・イバネス、アントニオ・ロペスと6人の選手が名を連ねている。
 さらにフランス代表のエースはレアル・マドリッドのジネディーヌ・ジダンであり、このスペインとの対戦に特別な思いを持っているもう1人の男である。ジダンはこのワールドカップが現役最後の大会となる。スペインに移籍してから精彩を欠くジダンであるが、スペイン戦を現役最後の試合とするわけにはいかないであろう。
 フランスチームの監督と主将が特別な思いを持つ戦いがいよいよ始まるのである。(続く)

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