第1017回 最後の関門、プレーオフへ(1) ワールドカップ予選のプレーオフで2度敗れる

■僅差で2位となったフランスとギリシャ

 フランスは、ワールドカップ予選のグループ7で2位になり、南アフリカ大会に向けてプレーオフに出場することになった。今予選の大会形式は、これまでの連載で何度か説明しているが、欧州から53のチームが本大会出場枠の13を争う。53チームを6チームからなるグループ8つと、5チームからなるグループ1つに分け、各グループの首位チームはグループ内のチーム数にかかわらず本戦出場となり、残り4つの椅子をプレーオフで争うことになる。
 グループで首位となり本戦出場権を得た国をグループ順に紹介すると、デンマーク、スイス、スロバキア、ドイツ、スペイン、イングランド、セルビア、イタリア、オランダの9チームである。この中でオランダはチーム数が少ないとはいえ、予選を8戦全勝で通過した。首位オランダの勝ち点は24であるのに対し、2位のノルウェーの勝ち点は10(2勝4分2敗)にすぎず、勝ち点で14の大差をつけている。逆にフランスは首位セルビアと勝ち点の差は1であった。首位との勝ち点の差が1で2位と言うのはフランス以外にはグループ2のギリシャ(首位はギリシャ)だけである。最終節でセルビアがメンバーを落としてアウエーのリトアニア戦で敗れたとはいえ、フランスにとっては大きな差のある勝ち点1である。

■フィレンツェでルーマニアに敗れた1950年大会予選

 さて、これまでにフランスがワールドカップ予選でプレーオフを戦ったことは2回ある。
 まず1950年のブラジル大会の予選である。当時の本大会の出場国数は16、そのうち前回優勝のイタリアを含む8つが欧州に割り当てられた。欧州からは18のチームが参加して7つの本大会出場枠を目指して予選が行われた。フランスはグループ3に入る。グループ3はまずユーゴスラビアとイスラエルがホームアンドアウエーで対戦し、フランスは勝ち上がったユーゴスラビアとホームアンドアウエー方式で対戦し、勝者がブラジル行きの切符を獲得する。
 このユーゴスラビアとの戦いはまずユーゴスラビアのベオグラードで1949年10月9日に行われ、1-1のドローとなり、第2戦は同月30日にパリ近郊のコロンブで行われた。フランスは先制するものの追いつかれてドロー、2試合とも1-1であったため、12月11日に中立地のイタリアのフィレンツェでプレーオフが行われた。この試合も壮絶な試合となり、12分にユーゴスラビアが先制すると、13分にフランスが追いつき、試合終盤の83分にフランスが勝ち越すと、その直後の84分にユーゴスラビアが追いつくと言う展開となった。90分を終えたところで2-2のタイスコア、試合は延長戦に入る。そして114分に決勝点を奪われ、フランスは初めてワールドカップ本大会への出場を逃したのである。

■ミラノでのオウンゴールに泣いたブルガリア戦

 そして2回目のプレーオフも似た状況で行われた。1962年のチリ大会予選、このときも欧州からの出場枠は8チームであり、28チームがチリ行きを目指す。フランスはグループ2でブルガリア、フィンランドと同じグループとなる。総当りのホームアンドアウエー方式のリーグ戦を終え、フランスとブルガリアはフィンランドに連勝、お互いのホームゲームで勝利と言う互角の戦いとなり、3勝1敗で並ぶ。得失点差などではフランスに分があったが、規定により中立地でのプレーオフとなる。このときもプレーオフの舞台はイタリアが選ばれる。ミラノのサンシーロ競技場で行われた試合、後半の開始早々にフランスは痛恨のオウンゴール、0-1でフランスは敗れ、第二次世界大戦後2回目となる南米でのワールドカップの出場権を得ることができなかった。

■南米開催のワールドカップ予選で2度プレーオフで敗れる

 ちなみにフランスは1970年のブラジル大会も出場権を逃し、1950年ブラジル大会、1962年チリ大会、1970年ブラジル大会と南米で行われたワールドカップの予選で3回連続して破れ、1978年アルゼンチン大会は1930年のウルグアイ大会以来48年ぶりの南米でのワールドカップ出場となったのである。
 フランスは南米で行われるワールドカップ予選でこれまで2回プレーオフにもつれ込み、2度とも敗れているのである。(続く)

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