第1725回 ドイツに惜敗、準々決勝で敗退(1) 早くも10得点、6人が得点を記録
3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■4試合で早くも10得点、過去3大会分の合計に並ぶ
決勝トーナメント1回戦ではナイジェリア相手に苦戦しながらも終盤の2ゴールで2-0と勝利し、ドイツ大会以来の準々決勝進出を決めた。ここまで4試合で3勝1分、そして10得点で2失点である。今世紀に入ってからのフランスの本大会での得点数は2002年大会は0、準優勝した2006年大会でも9、そして2010年大会は1であり、過去3大会分のゴールを早くもあげたことになる。
■6人が得点を記録、1998年の再現か
さらに今大会のフランスの特徴は得点の数だけではなく、得点者の数が多いことである。3得点をあげたカリム・ベンゼマ以外にオリビエ・ジルー、ブレーズ・マツィディ、マチュー・バルブエナ、ムーサ・シソッコ、ポール・ポグバと6人がゴールを記録している。これは3位になった1958年大会、優勝した1998年大会に似ている。1958年大会は13得点をあげたジュスト・フォンテーヌがクローズアップされるが、それ以外の得点者としてレイモン・コパ、ロジェ・ピアントニ、イボン・ドゥイス、マリアン・ウィスニエスキー、ジャン・バンサンと合計6人が得点を記録している。また、1998年大会は得点ランキングでは3点のティエリー・アンリが7位に過ぎないが、それ以外にリリアン・テュラム、エマニュエル・プチが2得点、ジネディーヌ・ジダン、ローラン・ブラン、ユーリ・ジョルカエフ、クリストフ・デュガリー、ダビッド・トレゼゲ、ビシャンテ・リザラズが1点ずつあげ、得点者の数は9人に上る。
そして今大会はオウンゴールで2点を得ている。これは決勝トーナメント1回戦終了時では最多で、結局今大会でも最多のチームとなる。この2つのオウンゴールも偶然の産物というよりはホンジュラス戦は完全に相手を崩したベンゼマのシュートが相手の選手に当たってゴールインしたもの、ナイジェリア戦はマチュー・バルブエナからのクロスをアントワン・グリエズマンと交錯したナイジェリアの選手に当たったものであり、グリエズマンのゴールと言ってもいいであろう。
■ライバルのドイツとの忘れえぬ1982年大会準決勝
この優勝時を思わせる好調な得点力を持つフランスの準々決勝の相手はブラジリアでのナイジェリア戦の終了後の2時間後にポルトアレグレでキックオフされるドイツ-アルジェリア戦の勝者である。この準々決勝の相手、ドイツにせよアルジェリアにせよフランスにとっては因縁の相手となる。本連載でもしばしば紹介してきたとおり、ドイツ(西ドイツ)とは長い間ライバル関係にある。ワールドカップでは1982年大会の準決勝はセルビアの死闘と呼ばれ、スリリングな試合経過だけではなく、西ドイツのGKのハラルド・シューマッハーが途中交代出場のフランスのパトリック・バティストンと1対1になったところをラフプレーで倒す。バティストンが担架で運び出されたにもかかわらず、主審は通常通り試合再開、延長に入ってフランスは2点をリードするが追いつかれ、ワールドカップの歴史の中で初めてPK戦が行われ、西ドイツに敗れている。
■初の対決が途中で打ち切られた2001年のアルジェリア戦
そして一方のアルジェリア、かつてはフランその植民地であり、多くのアルジェリア系の人々が今なおフランス国内に住む。サッカー選手の中にはジダンのようにフランス代表となったケースもあるが、ほとんどはアルジェリア代表を選択する。そしてフランスとアルジェリアは難しい国民感情もあり、サッカーの世界でも親善試合すら行ったことがなかったが、2001年にようやくその夢が実現し、2001年10月6日、スタッド・ド・フランスにアルジェリアを迎えて初めての親善試合がキックオフされた。しかし、本連載第5回から第12回で紹介した通り、たくさんのアルジェリア系住民が集まった試合、フランスが4-1とリードしていた75分に無数の観衆がピッチ内に入り込み、試合を続行することができなくなったのである。
このようにフランスにとってはドイツもアルジェリアも因縁の相手であるが、両国にとっても忘れられない思い出があるのである。(続く)