第2240回 ワールドカップ予選を振り返る(1) 高く評価されるグループ首位での本戦出場

 6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■前回3位のオランダ予選落ち

 ワールドカップ予選のグループAの最終戦、フランスはホームのスタッド・ド・フランスでベラルーシに勝利してロシア行きを決めた。今回は予選のグループリーグ全体を振り返ってみたい。
 まず、世界の注目を集めたグループAのオランダ-スウェーデン戦であるが、オランダは大差(7-0、あるいは8点以上で6点差以上)で勝利しなくてはならなかったが、2-0というスコアに終わる。オランダは勝ち点でスウェーデンに並んだが、得失点差ではるかに及ばず、3位にとどまり、2002年日韓大会以来の予選落ちとなった。この日、2得点をあげたのは主将のアリアン・ロッベンであったが、96試合目の試合が代表最終戦、代表からの引退を表明した。

■ルクセンブルク、歴史的な最下位脱出

 また、ルクセンブルクはホームで行われたブルガリア戦で1-1のドローとなり、勝ち点を1積み上げ、ベラルーシを抑えて5位となる。ルクセンブルクはワールドカップの予選が導入された1934年大会以来継続して予選に出場していながらまだワールドカップや欧州選手権の予選を突破したことがなく、たいていの場合は予選でも最下位であったが、ワールドカップ予選では2010年大会に続き2回目の最下位脱出を果たしている。また、直近の予選となる2016年の欧州選手権予選でも最下位を脱出している。

■1998年大会から変更になった予選方式

 そしてフランスは10戦して7勝2分1敗という成績である。ワールドカップや欧州選手権の予選で10試合戦うようになったのは1994年の米国ワールドカップ予選からであるが、この時は上位2チームが本大会に出場することができた。1990年代の東欧の自由化によって新しい国が誕生し、UEFAに所属する国が50か国以上になったのと同時に、ワールドカップや欧州選手権の本大会の出場国数が増加し、予選方式は大きく変わった。6チーム、あるいは5チームによるグループリーグを行い、首位のチームが本戦出場、2位チームはプレーオフで勝ち抜かないと出場できない、というのは1998年のフランスワールドカップからの予選の形式である。
 ところが、フランスは1998年大会は開催国、そして2002年大会は前回優勝国として予選が免除されており、2大会連続でワールドカップ予選ではこの形式を経験しなかった。欧州選手権では2000年大会の予選では最後の最後でウクライナをかわして首位、2004年大会は独走で全勝して首位と、いずれも本戦出場を果たしているが、ワールドカップについては新方式での予選は2006年のドイツ大会まで待たなくてはならなかった。本連載でも紹介しているが、最終戦を迎える段階でフランスは2位、最終戦はスタッド・ド・フランスでキプロスに4-0と勝利するが、同時刻にダブリンで首位のスイスがアイルランと対戦する。この試合がドローに終わり、フランスは逆転して首位となった。

■プレーオフ経由の本大会出場の続いたフランス、見事に首位突破

 欧州選手権、ワールドカップ予選で3回連続して首位突破を果たしたフランスであるが、その後は2008年欧州選手権、2010年ワールドカップ、2014年欧州選手権とグループリーグ2位でのプレーオフを勝ち抜いての本大会出場であり、この間グループを首位で突破したのは2012年欧州選手権だけである。(2016年欧州選手権は開催国で予選免除) そういうフランスにとってグループ首位で予選突破は喜ばしいことであるとともに、10試合制のワールドカップ予選で7勝したのも初めてのことである。(2010年大会は1グループが7チームのグループに入り、7勝している)
 予選は秋に始まり秋に終わり、実質1年強の間に行われる。また選手の多くは欧州のビッグクラブに所属しており、活動のほとんどはクラブのユニフォームを着ている。青のフランス代表のユニフォームを着るのはごくわずかであるが、その限られた時間で人材を発掘し、機能させたディディエ・デシャン監督の手腕は高く評価されるであろう。(続く)

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