第3634回 ワールドカップ出場決定にあと一歩(2) 転換点となった30年前のアゼルバイジャン戦
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■FIFAランキング124位のアゼルバイジャン
9月に開幕したワールドカップ予選、難敵ウクライナとアウエーでの試合に勝利、パルク・デ・プランスでのアイスランド戦も勝利して、グループDで唯一の連勝で10月を迎えた。
10月の戦いはまず10日にアゼルバイジャンとパルク・デ・プランスで対戦する。アゼルバイジャンは第4シード、第1節はアウエーでアイスランドに0-5で敗れたが、第2節ではホームでウクライナと1-1のドローに持ち込んでいるが、10月を迎える時点で最下位となっている。現在のFIFAランキングはフランスが2位であるのに対し、アゼルバイジャンは124位である。FIFAランキングができてから30年以上経過したが、フランスはこれまでFIFAランキングで100位以下のチームと30回対戦しているが、そのうち28試合は勝利しており、勝てなかったのは2008年のオーストリア戦(1-2で敗戦)と2017年のルクセンブルク戦(0-0の引き分け)だけである。
■唯一の対戦となった1996年欧州選手権予選、アウエーで勝利したフランス
これまでにフランスとアゼルバイジャンが対戦したのは1回(2試合)だけ、1996年の欧州選手権予選のことである。ソ連の崩壊に伴ってアゼルバイジャン代表が誕生したわけであるが、この予選はアゼルバイジャンにとって初めての国際大会の参加という歴史的なものとなり、最下位となる第6シードとして出発した。アゼルバイジャンはアルメニアとのナゴルノ・カラバフ紛争により警備上の理由からホームゲームは国内ではなくトルコで行う。
アゼルバイジャンは予選が始まって3連敗、1点も取ることができず、4戦目のフランス戦を迎える。
一方のフランスであるが、1988年欧州選手権、1990年ワールドカップ、1994年ワールドカップと予選落ち、この間唯一本大会に出場した1992年の欧州選手権もグループリーグでは1勝もできず、惨敗した。この予選も開幕してからスロバキア、ルーマニア、ポーランド相手に3試合連続スコアレスドロー、すなわち1点も取っていないチーム同士の対戦となった。1994年12月13日、トルコでのトラブゾンでの試合、フランスはジャン・ピエール・パパンが25分に先制点、フランスは予選開始295分で初のゴールをあげ、後半にもパトリス・ロコが追加点、2-0と勝利した。
■10点を奪い、チームがテイクオフしたオセールでの対戦
アゼルバイジャンとのホームゲームは1995年9月6日にオセールで行われた。アゼルバイジャンは得点はあげたものの、その後も3連敗で最下位、フランスはようやく目を覚まし、2勝1分と勝ち点を上積みし、順位を3位まで上昇させた。
オセールでの試合、フランスはジネディーヌ・ジダンとユーリ・ジョルカエフが初めて先発で名を連ね、機能する。13分にマルセル・デサイーが先制点、18分にはジョルカエフが追加点、35分にはバンサン・ゲランが得点を決めて3-0で折り返す。後半はゴールラッシュで7得点を奪い、最終スコアは10-0となった。10得点、10点差はいずれも当時のフランス代表の最多記録となる。それまでは8-0というスコアの試合が3回あった。この勝利でフランスは順位を予選突破圏内の2位に上昇させる。この試合でフランスは再び勢いを得て、残り2試合はルーマニアとイスラエルに連勝、最終順位は2位となり、イングランドでの本大会に出場する。本大会では準決勝に進出、国際大会では1986年ワールドカップ以来の好成績となり、それは1998年のワールドカップ優勝にもつながっている。ただ、予選での2回のアゼルバイジャン戦が転換点となったことは忘れてはならない。
■不名誉な試合となったアゼルバイジャン
一方のアゼルバイジャンにとってもこの試合はそれまでの最多失点の記録を更新する不名誉な試合となり、監督が更迭された。ナゴルノ・カラバフ紛争の影響でホームゲームを国内で開催できなかったことも遠因であろう。ナゴルノ・カラバフ紛争は米国のドナルド・トランプ大統領の仲介によって本年8月に和平が訪れたが、もし30年前のトランプが不動産王ではなく大統領であれば、アゼルバイジャンのサッカーの歴史は異なっていたであろう。(続く)
