第3778回 モロッコの挑戦を退ける(1) 欧州生まれ、欧州育ちが主力のモロッコ

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■アフリカ勢として初の優勝を狙う力を付けたモロッコ

 決勝トーナメント2回戦ではパラグアイの厳しい守備に苦戦しながらもフランスは準々決勝に進出した。準々決勝進出を争う戦いは前回大会までは決勝トーナメント1回戦であったが、フランスはこのベスト8を決める戦いには滅法強く、1934年大会でオーストリアに敗れたのを最後に、以降はすべて勝利している。
 そのフランスが準々決勝で対戦するのはモロッコである。前回大会でも準決勝で対戦したアフリカの強豪である。今年初めに自国で開催したアフリカネーションズカップでは決勝でセネガルに敗れたものの、セネガルの試合中の抗議に対して処分がなされ、優勝している。1990年以降、アフリカの時代が来ると言われたが、ワールドカップで優勝を狙う位置に初めて到達したのが現在のモロッコであろう。

■スペイン出身のアクラフ・ハキミ、大会直前にモロッコ代表入りしたアイユブ・ブアディ

 モロッコの強さは、選手の多くが欧州生まれで欧州の育成機関で教育を受け、モロッコのフル代表となっていることである。例えば主将のアクラフ・ハキミはモロッコ人の両親のもとでスペインのマドリッドで生まれている。レアル・マドリッドの下部組織に所属し、スペインの年代別代表に選出されたこともあったが、17歳の時に両親の出身国であるモロッコ代表を選択している。
 また、今大会の若手選手として注目を集める18歳のアイユブ・ブアディであるが、サンリスでモロッコ人の両親のもと生まれ、育っている。下部組織から所属していたリールでは16歳になったばかりの2023年には欧州カップの最年少出場記録を更新し、昨季のヨーロッパリーグでの活躍は記憶に新しい。学業成績も優秀で大統領府でブリジット・マクロン大統領夫人から表彰を受けている。
 ブアディは15歳の時からモロッコの年代別代表として活躍し、主将も務めていた。フランスサッカーの明日を担うと期待されたブアディは今年の5月、すなわちワールドカップのメンバーのエントリー直前にモロッコ代表になることを選択した。すなわち代表デビューはワールドカップ初戦のブラジル戦、王国相手に衝撃のプレーを見せたのである。

■四強に入った前回大会からチームを支える他国生まれの選手たち

 モロッコは次回のワールドカップ開催に向け、モロッコ代表の資格を有する国外の若手選手をモロッコ代表にするキャンペーンを2024年から開始したが、国外生まれの選手を代表入りさせることは以前から行われており、準決勝に進出した前回大会でも出場選手の半数以上が国外生まれであった。前回大会に出場していた国外生まれの選手はハキミだけではなく、オランダ生まれのソフィアン・アムラバト、ヌサイル・マズラウィもいる。中盤のキープレーヤーであるアムラバトはユトレヒト、左サイドDFとして右サイドのハキミに劣らない力を持つマズラウィはアヤックスで育っている。
 さらに出身地は欧州だけではない。GKのヤシン・ブヌはカナダのモントリオール出身である。一般的にアフリカから欧州への移民というと、仕事を求めて、雇用のある欧州で単純労働につくというパターンを連想しがちであるが、モロッコ代表の家庭の場合は高度な教育を受けて、それに見合う職業を欧米に求めて移住したケースが多いことである。例えば、ブアディの父親はフランスでクレイユ市の助役を務めていた。ブヌの父親は国家公務員であり技官を務め、高等教育機関の教授も務めるエンジニアであった。

■モハメド・ワヒド監督もベルギー生まれ

 強化策が実ったモロッコは、アンダーエイジの大会でも成功をおさめ、昨年9月から10月にかけてチリで開催された20歳以下のワールドカップで初優勝を収め、この大会で指揮を執っていたモハメド・ワハビ監督を今年になってフル代表の監督に据える。
 ワハビ監督自身もベルギー生まれである。ワハビの両親はアルジェリアに居住していたモロッコ人であった。1975年のモロッコによる西サハラ侵入により、アルジェリアに居住していたモロッコ人は国外退去を余儀なくされる。この時にワハビの両親が選択したのがベルギーであり、その翌年にワハビはブリュッセルで生まれ、少年時代からサッカーに親しむ。21歳で指導者の道を選択し、名門アンデルレヒトの下部組織のコーチとなり、多くの才能を発掘し、育てたのである。(続く)

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