第21回 ツール・ド・フランスとフランス人

■世界最高峰の戦い、ツール・ド・フランス

 この連載の最初で取り上げたが、フランススポーツ界最大のイベントは「ツール・ド・フランス」という自転車レースである。フランスでサッカーがシーズンオフとなる時期にフランス全土(場合によっては外国を含む)で繰り広げられる。ツール・ド・フランスはイタリアのジロ・デ・イタリアとスペインのブエルタ・ア・エスパーニャとともに世界の三大自転車レースと称されている。また、欧州では毎週末に自転車レースが行われている。日本でも5月にはツアー・オブ・ジャパンが行われ世界の強豪が集まる。
 しかし、数ある自転車レースの中で最も高い位置にあるのがこのツール・ド・フランスであり、イングランドのFAカップを単純にカップと称するように、「ツール」と言えばツール・ド・フランスを意味する。フランスで行われているスポーツイベントで数少ない世界一のイベントである。3週間の開催期間のうちわずか1日の休息日があるだけで、毎日200キロ前後を走破し、完走できるのは毎年4分の3という過酷なレースである。

■絶妙なイベント・スケジュール

 なぜ、このイベントが世界一の自転車レースになったのか。まず、そのスケジュールがが実によくできている。ツールの開催される時期にはフランス内外を含め大きなスポーツイベントはない。
 例年フランスでは、サッカーのフランスリーグ、フランスカップ、欧州三大カップが5月上旬から下旬にかけてフィナーレを迎えたあと、F1のモナコ・グランプリ、5月下旬から6月上旬にかけてテニスのフレンチ・オープン、それが終わるとルマンの24時間耐久レース、そして6月の末には再びF1のフランス・グランプリと、スポーツイベントが目白押しである。サッカーのシーズンが終わってもこのように各種のスポーツイベントが続き、バカンスの到来と共にやってくるのがこのツールなのである。このように恵まれた日程の設定のため、フランスだけではなく欧州全体で唯一のスポーツイベントとなることから注目を集めるのである。
 今年はルマンの後、ワールドカップが6月10日から7月12日まで開催されたため、ツールの日程が例年より遅れ、ワールドカップの決勝の前日にあたる7月11日にアイルランドのダブリンを出発して、8月2日に3週間にわたる熱戦の幕を閉じることになる。

■ツールをはじめた100年前の狙いは、今も生きている

 ツールはスポーツ紙「レキップ」の前身である「ロト・ヴェロ」(宝くじと自転車という意味)紙の編集長アンリ・デグランジェの発案によって1903年に創設された。サッカーがシーズンオフとなる時期にニュースとして取り上げるためのスポーツイベントをつくり、創刊間もない新聞の購読者の獲得を狙ったのである。
 この100年近く前の狙いは見事的中し、ワールドカップというイベントを地元開催した今年ですら、ワールドカップ開催中と終了後、すなわちツールの開催中まで、ほとんど新聞の販売部数に差がない。フランスでは新聞の宅配は少数派で、駅のキオスクあるいは書店やたばこ屋の店頭売りが圧倒的であるため、日によって販売部数が大きく変動する。例年だとツールの時期は最も販売部数が伸びる期間となっている。

■フランス全土がツールに燃える

 ツールが世界一の自転車レースである理由は日程だけではない。それはこのイベントがツール・ド・フランス、つまりフランス一周という名の通りフランス全土で繰り広げられるからである。また、1954年からは一部国外にもコースが設定され、1994年には開通を控えたドーバー海峡トンネルを通ったことを記憶されている読者の方も多いであろう。
 今年はダブリンを出発し、革命記念日に沸く7月14日にフランスのブルターニュ半島に上陸、以後フランス全土を時計と反対回りに一周する。7月29日には日本代表チームが合宿をおこなったエクスレバンに到着する。そしてフィナーレは1975年以来常にパリのシャンゼリゼ通りの周回である。パリのシャンゼリゼ通りがゴールという設定はこの20年間変わらないが、そこに至るまでのコースの設定は毎年変わる。毎年趣向を凝らしたコース設定がなされ、全国民が注目する。
 コースに決まった都市は大騒ぎ、市民全員が総出で応援する。沿道に鈴なりの市民が集まる中、疾走する約200台の自転車は壮観である。また、バカンスシーズンに行われるこのレースの間、バカンスをとってこのレースを応援するために、多くのフランス人がコースの近くに避暑に訪れる。避暑地でツールを応援することをはフランス人にとって至上のバカンスである。したがって、フランスではワールドカップの開催を返上する都市はあっても、ツールの開催を返上する都市はない。

■フランス人に愛されるがゆえの伝統

 また、フランス人でツールに出場したならば引退後ツール関連の仕事を与えられることが伝統となっている。例えば、主催の事務局であるソシエテ・ド・ツール・ド・フランスのスタッフの多くは元選手である。また、広告車の運転手、標識設置係などをつとめる元選手も多い。サッカーを含めこのような競技はフランスにはない。以上のようにフランス人に非常に愛されているスポーツイベントなのである。
 さらに、以前は国別対抗戦という形式をとったこともあるが、現在はブランドチーム単位の対抗戦で、1990年代になってワールドカップ、欧州選手権という国別の対抗戦が低調になったサッカーも将来はこのような形式をとるかもしれない。またこの形式は結果としてより多くの国から選手を参加させることになる。
 1996年のツールに今中大介が戦後初めて日本人としてエントリーしたことは記憶に新しい。このときのフランスジャーナリズムの取り上げ方は今回のワールドカップの日本代表の比ではなかった。実は1926年の出場者にはキソ・カワムロという日本人とおぼしき名前がある。ワールドカップもまだ開催されず、ローランギャロスもオープン化されていなかった時代に日本人が出場していたならば、間違いなく彼はフランスのスポーツイベントに初めて足を踏み入れた日本人であろう。
 さて、今年のツールは残念ながらドーピング騒動で揺れている。しかしながら、ツールが終わるまでバカンスをとらないというパリジャンが今年もシャンゼリゼを埋め尽くすことであろう。3877.1キロの長丁場を制し、栄光の表彰台に上るのは誰であろうか。

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