第23回 チャンピオン・フランス、2000年欧州選手権に向け始動

■代表監督の交代は今年はじめに決まっていた

 7月12日の栄光から1カ月、前回の本連載にもあるとおり、すでにリーグ戦も再開した。歓喜の日々から再び選手は日常に復帰している。各所属チームという文字どおりホームに戻り10カ月にわたるリーグ戦を国内外で争うことになる。
 しかし、タイトルホルダーとして次回のワールドカップの出場権をすでに獲得している代表チームも例外ではない。2000年の欧州選手権に向けてすでに始動している。7月28日にはエメ・ジャッケ監督の後任監督としてロジェ・ルメール新監督の就任が発表された。世界一になったのだからジャッケ監督の留任でいいのではないかと思われる読者も少なくないと思われる。しかし、ワールドカップ後の監督交代はすでに今年の1月に決定している。ワールドカップ・フランス大会の組み合わせの翌月、UEFAでは2000年の欧州選手権の予選の組み合わせが行われた。欧州選手権もワールドカップ同様、2年がかりの予選が行われる。この予選の組み合わせの前に、フランス協会は新監督で予選に臨むことを決定している。

■ジャッケは、フランス歴代名監督の中でも抜群の成績を誇った

 通常、フランスで代表監督の任期は2年、ワールドカップ終了後から次の欧州選手権まで、あるいは欧州選手権終了後から次のワールドカップまでが基本である。もちろん結果を出せばそれを延長できるし、逆に結果を出せなければ途中で解任される。ジャッケ監督は前回のワールドカップ予選終了後から監督を務めており、守備重視で攻撃力がないという批判を常に受けてきたが、今大会では安定した守備力をもとに見事な優勝を飾った。
 ジャッケ監督の在任中の成績は53試合で34勝16分3敗、特筆すべきはその勝率と負けの少なさである。勝ち点を勝ち=3点、引き分け=1点、負け=0点とすると1試合当たりの平均勝ち点は2.22である。同様の計算をすると前任のジェラール・ウリエ(1992-93)は1.83、その前のミッシェル・プラティニ(1988-1992)は1.93である。1980年代のワールドカップで監督を務めたミッシェル・イダルゴ(1.85)、アンリ・ミッシェル(1.66)をもしのぐすばらしい成績である。また、在任中に喫した3敗はいずれも親善試合で、タイトルマッチ(ワールドカップと欧州選手権の予選および本大会が相当する)では、まったく負けなしである。

■プラティニも結局は救世主になれなかった

 プラティニ率いるフランス代表は、1989年4月から92年2月まで3年近く不敗で、欧州選手権スウェーデン大会の予選ではスペイン、チェコスロバキアという強豪と同じ組に入りながらグランドスラム(予選で全勝)を記録した。しかし欧州選手権の本大会では惨敗、グループリーグで敗退する。またプラティニは、前半戦不調だったイタリア・ワールドカップ予選の途中から監督に就任したが、救世主となることはできず、結局イタリア大会には出場できなかった。
 プラティニの後を継いで監督になり、今大会のテクニカルディレクターとして活躍したウリエも全盛期のジャン・ピエール・パパン、エリック・カントナと急成長したダビッド・ジノラを擁して抜群の得点力を誇った。安定した力を保っていたが、肝心のワールドカップ予選で魔が差し、3敗した。しかも終盤にホームで格下のイスラエル、ブルガリアに連敗し、本大会出場を逃している。ちなみにウリエは在任中、親善試合で負けたのは就任第1戦のブラジル戦(本連載の第18回を参照)のみである。

■ジャッケは安定した守備力をベースに負けないチームをつくった

 一方、ジャッケは就任第1戦ではイタリアにアウエーで82年ぶりの勝利(本連載の第17回を参照)、ホーム第1戦は地元リヨンでチリに勝ち、アメリカ・ワールドカップ直前の日本遠征ではキリンカップ優勝と幸先はよかった。しかし、秋からの欧州選手権の予選ではなかなか勝てず、スコアレスドローの連続、このまま予選落ちと思われたが最後に3連勝し、5勝5分(得点22、失点2)という成績で16か国に出場枠が増えた本大会の切符を手に入れる。
 結局、本大会でも準決勝に進出し、チェコにPK負け(記録上は引き分け)する。パパン、カントナ、ジノラというビッグネームをメンバーからはずし、得点力不足という批判はついて回ったが、安定した守備力で負けないチームをつくり、地元開催のワールドカップではこれまでの批判を見事に振り切り、タイトルマッチ不敗のまま有終の美を飾り、監督の座を去る。

■クラブチームの監督人事が代表チームに優先する時代

 57才のルメール新監督は現役時代は力強くかつエレガントなストッパーとして活躍し、代表歴は6回、34才で引退した後は数々のクラブチームで監督を務めている。また1986年から協会の技術スタッフに任命されており、たくさんの若手を育て、B代表や兵役チームなどの監督も務めている。今年のはじめからジャッケ前監督のアシスタントに就任、ワールドカップでもベンチ入りしている。
 このように書くと1月の段階ですでに後任として決まっていたかと思われるかもしれないが、この段階では後任監督についてはツールーズのアラン・ジレース(本連載第13回参照)、リヨンのジャン・ティガナ(本連載第15回参照)、オセールのギ・ルー、ナントのジャン・クロード・スオドーなど、クラブチームの監督が有力視されていた。
 しかしながら、その後これらの有力監督はクラブチームが食指をのばし、ジレースはパリサンジェルマン、ティガナはモナコという新監督の契約をワールドカップ前に結び、スオドーが有力と報じられた時期もあった。このようにクラブチームの監督人事が代表チームの監督人事に優先するようになっており、国レベルの対抗戦であるワールドカップ、欧州選手権の地盤低下を反映している。
 しかし、結局はジャッケ監督率いるチームが優勝したこともあり、内部昇格のような形に落ちついた。2000年の欧州選手権をめざす新生フランスの船出は8月19日、場所はウィーン、今回のワールドカップではグループリーグで敗退した中欧の古豪オーストリアとの親善試合である。

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