第46回 マルセイユ、90年代最後の涙

 OMことオランピック・ド・マルセイユが帰ってきた。今年が創立100周年であるこの名門チームに、欧州の頂点を目指すチャンスが久しぶりにめぐってきたのだ。1990年代前半にフランスサッカーを制覇し、たびたび欧州の頂点をつかむ一歩手前まできながら、常に栄光は彼らの手から逃げていった。そして1990年代最後の年の5月12日モスクワ、UEFAカップ決勝でイタリアのパルマと戦うことになった。しかしながら夢は破れるためにある。1990年代5回目の挑戦も実らず0-3で涙を飲んだ。

■89-90 ベンフィカの「悪魔の手」によって涙を飲む

 名門マルセイユの歴史は栄光と屈辱の歴史である。1960年代には2部に降格、1970年代初頭にはリーグで連覇をするが、再び1980年代には2部落ちしてしまう。どのようなクラブにも浮沈はつきものであるが、マルセイユ独特のラテン気質か、その傾向は激しい。そしてこの名門クラブを復活させたのが若き青年実業家、左翼系の代議士でもあったベルナール・タピである。当時のACミラノに対抗し、財力でジャン・ピエール・パパンをはじめとする大物選手を次々と補強し、スタッド・ベロドロームを真っ青に染め上げたサッカー好きのマルセイエー(マルセイユ人)を熱狂させる。1988-89シーズンに17年ぶりにリーグを制覇した後はまさに無敵の5連覇。モナコ、ボルドー、パリサンジェルマンの挑戦を簡単にはねのけ、目標は欧州制覇であった。
 しかし、90年代のマルセイユの欧州での戦いは常に涙の戦いであった。久々のチャンピオンズカップとなった1989-90、マルセイユは順当に勝ち進み準決勝に進出、ベンフィカと対戦する。マルセイユでの第1戦はフランク・ソーゼーとパパンのゴールで2-1と勝利し、その2週間後、12万人の大観衆でふくれあがったベンフィカの本拠地ルッス・スタジアムに乗り込む。試合は一進一退の攻防が続くが、終了7分前、マルセイユのその後の歴史を暗示するような事件が起こる。ベンフィカのバータが手を使ってゴール。1986年ワールドカップのディエゴ・マラドーナ同様、テレビ中継でハンドは明らかであったが、ベルギーの審判団はこれを見逃した。終盤の猛攻も実らず、マルセイユは同一得失点差の場合はアウェーゲームの得点を2倍にするというルールにより、ACミラノとの決戦を前に「悪魔の手」によって涙を飲む。

■90-91 宿敵ミラノを倒すも、PK戦に泣く

 続く1990-91は、準々決勝でACミラノとの夢の対決が実現する。まず3月6日のミラノでの第1戦は1-1の引き分けに持ち込み、3月20日のマルセイユでの第2戦では途中停電というアクシデントがあったものの、クリス・ワドルのゴールで1-0の勝利。事実上の決勝といわれたこのカードで宿敵を倒す(停電を理由に再試合を申し立てたACミラノはUEFAから翌年の欧州三大カップの出場停止処分を受ける)。
 準決勝では日本遠征から帰国したばかりのスパルターク・モスクワを3-1、2-1で寄せ付けず、いよいよファイナルの舞台は5月29日のイタリアのバリ。相手はドラガン・ストイコビッチの古巣レッドスター・ベオグラード。マルセイユは一方的に試合を支配するが無得点。延長後半の111分にはストイコビッチを投入したが、ついに両チームスコアレスドローのまま大会史上4回目のPK戦でビッグイヤーを争うこととなった。120分間シュートが飛んでこなかったマルセイユのGKパスカル・オルメタに対してレッドスターは次々とPKを成功、一方マルセイユはマニュエル・アモロスが失敗し、結局5-3で敗れてしまい、ミラノを倒しながら栄冠を逃してしまう。

■91-92 「黒い水曜日」と「友情の試合」

 そして新方式となり準決勝リーグが行われた1991-92のチャンピオンズカップでは、マルセイユは2回戦でスパルターク・プラハと対戦。ホームの第1戦は楽勝かと思われたが、パパンがPKを失敗、逆にバジル・ボリとオルメタが不用意なPKを与え、結局3-2という僅差の勝利でプラハに乗り込む。この試合は大観衆の声援を受けたプラハが健闘し、アベディ・ペレの1ゴールに押さえて2-1で勝利。マルセイユはまたもやアウェーゲームのスコア差で敗れてしまう。
 この敗戦は「黒い水曜日」と言われ、イレブンの心に深く焼き付くこととなる。なお、チャンピオンズカップで越年できなかったマルセイユは欧州三大カップの出場停止処分を受けたACミラノを迎えて92年3月17日に申し出の通り再試合に応じている。「友情の試合」と言われた試合でもパパンが唯一のゴールをあげて1-0でマルセイユが勝利を収めた。三度の挑戦で欧州の頂点に立てなかったパパンはシーズン終了後ミラノに移籍する。

■92-93 4年目で欧州制覇の夢は実ったが・・・

 4年目の挑戦はパパンこそいないものの相変わらずの黄金メンバーがチームを支えた。「チャンピオンズリーグ」となり、マルセイユは3勝3分(得点13、失点4)という成績でAプール首位となり、決勝の相手は宿敵ACミラノ、5月26日ミュンヘンのオリンピックスタジアムで雌雄を決することとなった。ディディエ・デシャンとフランク・バレジのペナント交換で始まった両チームの戦いは、カップファイナルとは思えない激しいものとなる。そして、前半終了を目前にした44分、ペレからのセンタリングにボリがヘッドで合わせ、前半を1-0でリードして折り返す。
 ハーフタイムを知らせるホイッスルの直後、ミラノのファビオ・カッペロ監督は控えのパパンにウォーミングアップを命じる。背番号16のパパンがロベルト・ドナドーニに替わってピッチに入ってきたのは55分のことであった。しかし、マルコ・バン・バステン、ダニエル・マッサーロなどのミラノの猛攻を若き日のファビアン・バルテスが防ぎ、22時3分、スイス人の主審ロスリスベルガー氏はタイムアップの笛。初めてフランスのクラブチームが欧州三大カップを獲得したのである。
 チャンピオンズカップは五月晴れの翌日、空も海もそして町中いたる所これ以上はない美しい青一色に染まったマルセイユに迎えられた。しかしその後発覚したフランスリーグのバランシエンヌ戦での買収疑惑により、マルセイユはすべてを失う。そしてワールドカップでブルーが輝いたその翌年、リーグでも好調なマルセイユに輝きが戻ってきた。しかし欧州での夢は5たび破れ、リーグ戦も残り2試合となった。2000年代を目前に控え今世紀最後のタイトルをマルセイユが取ることができるのだろうか。

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