第53回 ガブリエル・アノー・トロフィー

■ジャーナリストが発案した欧州チャンピオンズカップ

 いよいよシーズン開幕。海峡の向こうイングランドではシーズン開幕直前にリーグチャンピオンとカップチャンピオンとの間でチャリティシールドと言われるスーパーカップが行われる。日本などでも同様の試合が行われ、リーグ開幕を盛り上げている。
 フランスでは長い間スーパーカップに相当する試合は行われていなかったが、1995年にスポーツジャーナリスト協会の発案によって「ガブリエル・アノー・トロフィー」として復活した。
 ガブリエル・アノーは往年のスポーツ紙レキップの記者であり、欧州チャンピオンズカップ(現在の欧州チャンピオンズリーグ)の発案者として有名である。1954年暮れにイングランドのウォルバーハンプトンがスパルタクモスクワとブダペストホンブドに勝ったとき、英国紙のデイリーメールが「ウォルバーハンプトンこそクラブのチャンピオンである」という記事を掲載した。これに対してレキップのアノーは「ウォルバーハンプトンがモスクワやブダペストに移動し、そしてACミラノやレアル・マドリッドなどのチームと対戦して勝ってこそ真のチャンピオンである」と海峡をはさんで反論したのである。
 アノーの反論は欧州クラブチャンピオンという概念を提案することとなり、レキップは各国のリーグチャンピオンによる欧州クラブ選手権を提案したのである。従来、中欧、アルプス諸国、ラテン諸国などの狭い範囲で選手権が行われていたが、この範囲を広げ、「ウラルから大西洋まで」というEUの理念を先取りしたビジョンを示したのである。

■海をはさんだ議論の末に始まった欧州最大のスポーツイベント

 発足したばかりのUEFAは難色を示したが、レキップは欧州のクラブをパリに招いてこの構想を説明し、各クラブの了解を得てFIFAにもこの欧州クラブ選手権を認めさせたのである。その結果、UEFAは1955年9月4日に欧州チャンピオンズカップという大会を組織することを決定した。初年度は15クラブが参加し、フランス代表のランス(Reims)はパリで行われた決勝に進出するが、伝説のチーム、レアル・マドリッドに3-4で敗れたのである。
 この大会は成功を収め、続いて欧州カップウィナーズカップ、UEFAカップも誕生し、欧州三大カップとして定着し、今季からは欧州チャンピオンズリーグとUEFAカップの二大大会となることは日本の読者の方もよくご存じであろう。
 海をはさんだジャーナリストの反論が欧州最大のスポーツイベントの一つの誕生のきっかけとなったのである。ジャーナリスト協会の発案によって争われる試合の勝者に贈られるトロフィーにガブリエル・アノーという名前以上ふさわしいものはないであろう。

■今年の勝者は、激しい戦いを制したナント

 さて、フランスのスーパーカップである「ガブリエル・アノー・トロフィー」は、初年度の1995年はシーズン前には行われず、年末年始休暇中の1996年1月3日にリーグチャンピオンのナントとカップウィナーのパリサンジェルマンが対戦し、PK戦の末、パリサンジェルマンが勝利。翌年はオセールが二冠を達成したため開催されず、シーズン開幕前週に行われるようになった1997年にはリーグチャンピオンのモナコがカップウィナーのニースを下し、昨年はカップウィナーのパリサンジェルマンがランス(Lens)を下している。
 ガブリエル・アノー・トロフィーの位置づけは、やはりシーズン前の親善試合の域を出ていないものの、やはりシーズン開幕前最後の親善試合ということで注目を集める。リーグチャンピオンのボルドー、カップウィナーのナント、いずれも栄冠から二カ月、シーズン前の親善試合で無敗同士の戦いとなった。新装されたアミアンのラ・リコルン・スタジアムで行われた試合はテレビ中継も行われた。
 ボルドーの2トップのリリアン・ラスランドとシルバン・ビルトールはシーズン前の親善試合でそれぞれ4ゴールと今年も健在。一方のナントはほとんど移籍がなく若いメンバーに変わりはないが、けが人が多く、調整不十分。それだけに最後の調整となるこの試合に対するスタッフの意気込みが感じられた。ツール・ド・フランスの最終日の前日に当たる7月24日にキックオフされた試合は親善試合とは思えない激しい試合となった。この試合唯一のゴールを決めたのはフランスカップの決勝同様ナントのオリビエ・モンテルビオであった。57分にアントワン・シビエルスキからのパスを難なく決めて、ナントの新たなホットラインを誕生させた。

■今年の会場アミアンは「最優秀スポーツ都市」

 さて、今年のガブリエル・アノー・トロフィーの話題は開催されたスタジアムである。従来この大会はサッカーの普及のために強豪チームがない中小都市で行われてきた(1996年ブレスト、1997年ベジエ、1998年ツール)。今年のアミアンも同様であるが、この試合はフランスで最も近代的なスタジアムという評判の高いラ・リコルン・スタジアムのオープニングゲームであった。1920年代につくられたムーロンゲ・スタジアムを引き継いでつくられたこのスタジアムは収容人員1万2000人、今季終了後には再び工事にかかり、将来は2万人収容のスタジアムとなる。現在2部のアミアンSCはガブリエル・アノー・トロフィーの前座試合でフランスプロ選手選抜と対戦し、3-1で勝っている。
 ワールドカップ開催の翌年になぜワールドカップ規格ではないスタジアムが新設されるのかワールドカップを控えた日本の読者の皆さんは不思議に思われるかもしれないが、このアミアンは非常にスポーツが盛んな都市である。スポーツが盛んな都市にとってワールドカップは一競技の国際大会でしかない。
 レキップ紙は1937年以来毎年「最優秀スポーツ都市」を選んでいる。人口3万人以下の都市とそれ以上のカテゴリーに分け、3万人以下はコートドール県のシュノーブ、そして3万人以上はこのアミアンが、前回紹介したサンテエチエンヌ、バスケットの町アンティーブ、昨シーズン1部に初昇格したロリアンなどをおさえて受賞したのである。ガブリエル・アノー・トロフィーのハーフタイムには表彰式が行われ、夏らしく花火が打ち上げられた。
 リーグ戦だけでなく、アノーが提唱しながら今までフランスのチームが獲得したことのないタイトルに挑戦するフランス勢の健闘を期待したい。

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