第74回 EURO2000直前、フランス代表の最終調整

■ワールドカップ準決勝の再現に快勝

 5月26日にようやくメンバーが揃ったフランス代表は5月28日にはクロアチアのザグレブでクロアチア代表との親善試合を行った。クロアチアとは一昨年のワールドカップの準決勝では初顔合わせだったが、昨年11月には欧州選手権予選のプレーオフの日程を利用して親善試合を行っている。そしてその半年後に再び親善試合を行うことになり、極めて異例なケースとなった。これはフランスが本大会に出場しない国との対戦を望んだことに加え、クロアチア代表を支えてきた37才のGKのドラゼン・ラディッチの代表からの引退試合を兼ね、クロアチアもビッグネームとの対戦を希望したところから、ワールドカップ準決勝の再現となったのである。ディナモ・ザグレブに所属するラディッチは試合開始から10分間だけピッチに立ち、地元ザグレブの1万5000人のファンから万雷の拍手を浴びたのである。
 フランスの先発メンバーはGKがファビアン・バルテス(モナコ)、DFはリリアン・テュラム(パルマ)、ローラン・ブラン(インテル・ミラノ)、マルセル・デサイー(チェルシー)、ビクセンテ・リザラズ(バイエルン・ミュンヘン)、MFはディディエ・デシャン(チェルシー)、エマニュエル・プチ(アーセナル)、ロベール・ピレス(マルセイユ)、ジネディーヌ・ジダン(ユベントス)、FWはティエリー・アンリ(アーセナル)、シルバン・ビルトール (ボルドー)というベストメンバー。一方のクロアチアも欧州選手権予選では不覚をとったが、アレン・ボクシッチ、ダボール・シューケルの2トップをはじめ、ワールドカップ・フランス大会で旋風を巻き起こしたメンバーが主力である。
 試合はいかにも親善試合という流れの中で始まるが、23分にピレスが先制点をあげ、ゲームはようやく激しくなる。後半に入り、ロジェ・ルメール監督はピレスに代えてダビッド・トレズゲ(モナコ)を投入し、アンリ-ビルトール-トレズゲという3トップのフォーメーションを試す。クロアチアも得点チャンスは何回かあったが、バルテスの好守に阻まれた。フランスはトレズゲが2点目を70分に決めて結局2-0で勝利。ルメール監督にとって非常に満足な試合内容であった。そして翌朝には試合に出場しなかった選手を中心にクロアチア2部リーグ選抜と30分ハーフの試合を行い、夕方に帰国した。2日間の休息の後、6月1日にハッサン二世杯の行われるカサブランカに移動した。

■本大会直前のアウェーゲームの意味と国外遠征

 本大会を控え、アウエーゲームが連続するのは以下の二つの理由による。まず、本大会ではある程度の移動を伴った試合を行うことになるため、コンディションをあわせておくという狙いがある。そして、それまでの準備段階で十分に時間がとれなかったため、国外でのトーナメントに出場し、合宿をかねてチームの結束力をアップさせていこうという目的がある。
 海外のトーナメントにフランス代表が参加するようになったのはきわめて最近のことである。1990年1月には1988年欧州選手権、1990年ワールドカップと2大会続けて予選落ちとなったことから、チームを立て直すためクウェートへほぼ20年ぶりの国外遠征を行った。そして予選落ちしたワールドカップ・アメリカ大会前の1994年5月には日本に遠征し、日本、豪州と対戦している。これらの国外遠征はチームの再出発が目的であった。
 しかし、1998年5月に出場したハッサン二世杯からは異なる意味あいを持ってきた。すなわち、チームの結束力を高め、短時間でチーム力をあげる手段として国外遠征を利用するようになったのである。

■直前になって変更された大会規則

 さて、このハッサン二世杯であるが、直前になって大会規則が変更となった。出場国はモロッコ、フランス、日本、ジャマイカの4か国。通常4か国が出場する2日間の大会は初日に2試合行い、二日目に決勝と三位決定戦を行うが、このハッサン二世杯はあらかじめ組み合わせが決まっており、6月4日にフランス-日本、モロッコ-ジャマイカ、6月6日にジャマイカ-日本、モロッコ-フランスという予定になっていた。延長戦も引き分けもなく、90分で勝負がつかなかった場合はPK戦。90分間での勝者に勝ち点3、PK戦の勝者に勝ち点2、PK戦の敗者に勝ち点1、90分間での敗者に勝ち点0が与えられ、2試合の勝ち点で順位がつけられ、同勝ち点の場合は得点の多いチーム、同得点の場合は失点の少ないチーム、それでも同じ場合はフェアプレーポイント(退場、警告、試合中の態度等)で順位を決定という大会規約になっていた。
 この「総当たりではないリーグ戦方式」を奇異に感じられる方も少なくはないと思う。しかし、日本の大相撲も同様のシステムであり、主催者にとっては二日間とも第二試合に地元モロッコが登場し、しかも最終日の第二試合、つまり千秋楽結びの一番はモロッコ-フランスというゴールデンカードを設定していた。また調整を目的としたフランスにとってもあらかじめ対戦相手と試合時刻が決まっている方が都合がいい。
 しかしこの大会規約にクレームを付けたのがフィリップ・トルシエ率いる日本である。4年前のワールドカップの招致、そして今回の九州・沖縄サミットとその外交手腕はフランスのお株を奪うほどであり、サッカーの国際大会の大会規定の変更など難しくはないことであろう。バックスタンドには日本向けのテレビの中継基地が設けられたり、メインスタンドは日本語の看板でしめられ、その経済力も見え隠れする。

■フランス代表の最終調整に微妙に影響

 この大会規定の変更に困惑したのはフランスである。実は欧州選手権を控えたフランスはこの大会ではモロッコ、日本との対戦を希望しており、大会前最後の試合にはモロッコと対戦したがっていたが、大会規約の変更で不確実なものになった。欧州選手権で対戦するチームのタイプを考えると、ベストメンバーの最終テストはジャマイカと対戦する可能性のある6月6日よりも6月4日にした方がリスクが少ない。その結果、本来控えメンバーを出場させるはずだった日本戦は、アンリに代えてトレズゲを起用しただけでクロアチア戦とほとんど同じメンバーが先発したのである。このような戸惑いがさすがの世界チャンピオンにも影響を与え、2-2の引き分けでようやくPK勝ち。
 結果論にはなるが、第二試合ではモロッコがジャマイカに辛勝。6月6日には希望通り、モロッコとの対戦が実現したが、さすがに3試合連続で同じメンバーを先発させるわけにはいかず、控え組がピッチに立つ。層の厚さを見せつけ、後半、デシャンやジダンが出場してから得点を重ね、5-1とモロッコを一蹴した。
 日本からの要求による大会規約の変更がフランス代表の最終調整に微妙に影響しており、これを快く思わないフランス人は少なくはないはずである。
 カサブランカには6月7日まで滞在し、合宿地であるベルギーのゲンバルに直行する。ティーニュ合宿で始まりハッサン二世杯で優勝と、フランス代表は2年前と同じ道を歩んでいる。しかし今度は、決して平坦ではない道を歩んできたブルーを、水の都ブルージュでデンマークが待ち受けている。

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