第88回 国境を越えたストライカー、トニー・ブロニョ

■ベルギーリーグ得点王に輝くも、EURO2000代表からはずれる

 前回の本連載で34年ぶりに首位に立ったことをご紹介したスダンであるが、第16節では11月18日にアウェーとはいえ最下位のトゥールーズに0-2で敗れ、翌日に前節まで2位のボルドーがレンヌに3-0で勝ったため、首位から陥落した。34年ぶりの首位はわずか2週間しか続かなかった。この首位陥落は大黒柱のトニー・ブロニョの負傷欠場が影響している。
 ブロニョは今季ベルギーのウェステロから移籍してきた。名前からわかるとおりイタリア系である。ベルギー人でイタリア系というと、モナコやオセールで活躍したエンゾ・シーフォを思い出す方も少なくないであろう。フランスの北東部同様、炭鉱町の多いベルギーにはイタリアからの移民が多く住んでおり、ブロニョやシーフォも彼らの子供である。
 1973年7月19日にベルギーのフランス語圏で生まれたブロニョは、1981年から1994年まで4部リーグに所属する地元のクラブ所属し、21才になった1994年にスポルティング・シャルルロワに移籍し、翌シーズンから3年間オランピック・ド・シャルルロワに所属する。1998年にはアントワープ近郊にあるウェステロに移籍する。この地域はフランス語圏ではなくフラマン語圏であり、ブロニョにとっては初めてのフラマン語圏での生活であった。
 しかしながら移籍初年に15得点、そして2年目の1999-2000シーズンには30得点をマークし、ノルウェー人でゲントに所属するオレ・マーチン・アーストと並んで得点王に輝いた。代表ではスーパーサブ的な存在となり、1999年5月30日に古都・京都で行われたキリンカップのペルー戦にも途中出場している。2000年4月26日のノルウェー戦では先発メンバーとして7回目の赤いユニフォームに袖を通した。しかし、ロベール・ワセージュが5月29日に発表した22人のリストにはベテランMFダニー・ボファン(メッス)とともにブロニョの名前が見あたらず、まさかの落選となった。

■新天地をフランスに求め、12試合で6得点の活躍

 代表チームが赤い悪魔と恐れられているベルギーは、19世紀半ばに英国からサッカーが伝来し、ベルギーサッカー協会の設立は1895年。2000年欧州選手権出場国の中では本家イングランドの1863年、デンマークの1889年に続いて3番目に古い。また1904年には欧州大陸で初めての国際試合を行い、FIFA設立時のメンバーという老舗である。伝統的に隣国のオランダ、フランスとの交流を重視し、宿敵オランダとの対戦成績は122試合で39勝28分55敗、フランスとの対戦成績は68試合で28勝17分23敗である。
 ビッグタイトル獲得は1920年のオリンピックと1977年のU-18欧州選手権ぐらいだが、80年代にはワールドカップや欧州選手権で上位に進出している。ベルギー代表にとって今回の欧州選手権は今世紀最初で最後の地元開催のビッグトーナメントであったが、いいところなくグループリーグで敗退してしまった。
 この敗退がブロニョの不在によるものかどうかはさておき、ベルギーリーグの得点王は国境を越えた。ベルギーリーグは欧州ではメジャーリーグとは言えないが、フランス勢が1回しか獲得していない欧州三大カップを4度制覇している(カップウィナーズカップ3回:1976年、1978年アンデルレヒト、1988年メヘレン、UEFAカップ1回:1983年アンデルレヒト、フランスはカップウィナーズカップ1回:1996年パリサンジェルマン、1993年のチャンピオンズリーグのマルセイユはタイトル剥奪)。しかし、ワールドカップに続き、欧州選手権をフランスが制覇したことがブロニョのフランスリーグへの移籍のきっかけとなったのであろう。ブロニョは8月初めにスダンに加わり、スピ-ドとドリブルを武器にして12試合で6得点を記録している。

■博愛と協調の精神を感じさせる町、スダン

 ブロニョがスダンを選択したことは幸運であった。スダンはベルギー国境に近い町であるが、ブロニョ加入以前からたくさんのベルギー人がスタジアムに駆けつけ、観客の1割以上にあたる1,500人がベルギー人である。またビジターのサポーターに対するホスピタリティーにも定評があり、ホームチームとアウェーチームのファンは対峙するのではなく、仲良く応援をしている。これは度重なる戦争での激戦の歴史が、このスダンの町の人々に平和のすばらしさと博愛の精神を定着させているからであろう。
 スダンのクラブのホームページはなんと7か国語(仏語、英語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語、日本語)で準備されている。このような外国人や他の地域の人々に対する寛容さ、特にベルギー人からのサポートがワンランクレベルの高いフランスリーグでブロニョが活躍する基盤となっているのであろう。日本野球界の至宝である鈴木一朗は、シアトル・マリナーズを新たなる活躍の場として選択したが、その判断基準の中に日本人コミュニティーの存在をあげたという。
 ビジターチームに対するスタンドでのホスピタリティーに定評のあるスダンであるが、ピッチの中はその逆で、ビジターチームにとっては鬼門であり、第19節終了時点でスダンのホームゲーム10試合の成績は7勝3分。ホームゲームでの平均勝ち点は2.4でありリーグトップである。またホームで負けがないのはスダン以外には6勝4分のランスだけである。もちろんこのホームでの快進撃は、ベルギーからのサポーターをバックとしたブロニョの活躍なしでは語れない。
 残念なことにブロニョは11月11日のマルセイユ戦で負傷し、全治1月と診断された。年内には復帰の見通しである。171センチという小柄なストライカーは、欧州から国境が消滅するであろう新世紀を象徴する国、ベルギーからの大応援団の声援に再び応えてくれるであろう。

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