連覇を狙うフランス・サッカー 「8月のブルー、苦手デンマークに快勝」(3/4)

■「勝った方が栄冠に輝く」フランスとデンマークの因縁

 それでは、このデンマーク代表について簡単に紹介することにしよう。サッカー協会の成立は1889年とフランス協会よりも古い歴史を誇り、FIFAの創立時のメンバーであり、オリンピックでも1908年ロンドン・オリンピック、1912年ストックホルム・オリンピックと連続して銀メダルを獲得している古豪である。オリンピックとは縁が深く戦後も48年のロンドン・オリンピックで銅メダル、60年のローマ・オリンピックで銀メダルを獲得している。71年にはミュンヘン・オリンピックを目前に控えた日本代表が来欧し、デンマークのオリンピック代表と親善試合を行っているので、日本の皆さんにも親しみがあるであろう。あの試合のリベロを務めていたのが現在の代表監督のモーテン・オルセンである。
 ワールドカップ初出場は86年のメキシコ大会とつい最近のことである。初出場時にはグループリーグで旋風を起こしたが、決勝トーナメント1回戦でスペインに1-5と大敗している。98年のフランス大会も、グループリーグでは地元フランスに続いて2位で決勝トーナメントに進出し、1回戦でナイジェリアを破ったものの、準々決勝で準優勝のブラジルに2-3と惜敗した。フランス大会出場国のうち優勝チームと準優勝チームの両方と対戦したのはデンマークだけである。
 欧州選手権には64年から今までに6回出場し、84年フランス大会ではグループリーグをフランスに敗れたものの2位で通過し、準決勝で準優勝したスペインに敗れている。そして特筆すべきは92年のスウェーデン大会であろう。ユーゴスラビアに代わって出場したチームはグループリーグ最終戦のフランス戦で初勝利を挙げ、波に乗る。決勝トーナメントでは準決勝で地元スウェーデンをPKで下し、決勝ではドイツを2-0と破り、快挙を達成する。ワールドカップ、欧州選手権でフランスとデンマークは本大会でしか対戦したことがないが、その4回の対戦すべてで「勝った方がその後栄冠に輝く」という結果になっている。

■バイキングの歴史を受け継いだデンマーク選手

 国内に78年までプロチームがなかったこと、そしてバイキングの歴史を受け継ぎ海外進出の精神があることから、ボスマン判決以前から多くの選手が国外でも活躍してきた。日本の皆さんになじみがあるのはアラン・シモンセンとミカエル・ラウドルップであろう。シモンセンは78年のジャパンカップに西ドイツのボルシアMGの一員として訪日し、前年度の欧州最優秀選手にデンマーク人として初めて選出されている。またラウドルップは、ユベントス(イタリア)の一員として85年にインターコンチネンタルカップ(編集部注:日本ではトヨタカップと言われているが、欧州ではいまだにインターコンチネンタルカップと一般的に呼ばれている)でも訪日し、ユベントス以外にラツィオ(イタリア)、バルセロナ、レアル・マドリッド(ともにスペイン)などで活躍。その後ヴィッセル神戸の一員となり、Jリーグ昇格に貢献。日本を去ってからはアヤックス(オランダ)に所属した。
 またボスマン判決以前のフランスで多くのデンマーク人選手が活躍している。80年代末からボルドーに所属したイェスパー・オルセンは欧州カップでのボルドーの躍進の原動力であった。92年の欧州選手権優勝時のメンバーにもジョン・シベバーク(サンテエチエンヌ→モナコ)、ジョニー・モルビー(ナント)が名を連ねている。
 そのほかに代表クラスでは90年代前半にヤコブ・フリス・ハンセン、ミカエル・ミオ・ニールセンがリールで活躍した。
 このように、ボスマン判決以前の外国人枠の存在した時代にデンマーク人選手が国外で活躍していたことは、彼らの力量を如実に示しているであろう。
 一方、現在フランスリーグに所属するデンマーク代表歴のある選手は、先日中田英寿率いるパルマを一蹴(いっしゅう)したリールのミッケル・ベックとサンテエチエンヌのアラン・オルセンだけである。そのほかにはバスティアのダン・ピーターセン、ガンガンのモーテン・ニールセンぐらいといささか寂しい。今回のデンマーク代表選手はほとんどが国外のクラブに所属しているが、フランスのチームに所属している選手はいない。これもフランスリーグの地盤沈下を表しているのであろうか。(続く)

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