連覇を狙うフランス・サッカー 若き“ブルー”の肖像~ワールドユース、フランス戦記(5)

手負いのパラグアイにまさかのドロー

 続く第2戦の相手はパラグアイ。ワールドカップ南米予選も好調であるが、多くの選手が国外のトップチームで活躍している。2トップの一人のトーマス・グスマンは 1999年3月のU-17南米選手権での活躍が認められ、ユベントスに移籍している。またもう一人の2トップのフリオ・ゴンザレスはグアラニに所属しており、リベルタドーレス杯などで活躍している。ゴンザレスはキリンカップでは訪日しないが、すでにフル代表に選出され、イタリアのビチェンツァへの移籍が決まっている。またホセ・デバカとアレジャンドロ・ダシルバはイタリアのウディネーゼに所属し、ドメネッシュが優勝候補の一角というのもうなずける。パラグアイは初戦のガーナ戦を1-2と落とし、フランス戦は背水の陣である。開催国のアルゼンチンのサンロレンソに所属するセルソ・エスキベルはガーナ戦で3本の歯を失い、出場が不可能と思われたが、スターティングメンバーに名を連ねた。
 この闘志あふれるパラグアイに対し、フランスは10分にブニョが先制点。後半に入って間もない47分にはブニョと2トップを組むシセが追加点。2-0と差を広げ、決勝トーナメント進出を確保したかに見えた。しかし、54分にウォルター・フレットにゴールを許してから雲行きは怪しくなる。70分には11分に続きメンディがエスキベルにこの日2度目の警告を受けるファールを犯し、退場処分となる。その直後の72分にパラグ アイのデバカが同点ゴールを決め、結局セーフティリードを守り切れないフランスはグループリーグ最終戦のガーナ戦に決勝トーナメント進出の希望を託すことになっ た。
 フランスにとって幸いだったのはすでにガーナが2勝目を上げ、決勝トーナメント進出を決めていたことである。勝てばグループ1位でマル・デル・プラタに引き続き とどまることができたが、結局もう一つの優勝候補とはスコアレスドローとなった。グループFで2位となり、グループBで2位のドイツ(昨年のU-18欧州選手権3位)と決勝トーナメント初戦を戦うことになったのである。

ワールドユース予選リーグFグループ、フランス対パラグアイ。フランスは2点を先行するが、闘志あふれるパラグアイの前にリードを守れず2点を奪われ引き分けとなった【ロイター】  

ラッキーボーイ・シセの活躍で花の77年組に81年組が追いつく

 コルドバに移動し、日程的にも休養の少ないなかでのドイツと対戦。ドイツのFWのベンジャミン・アウアーに19分にボレーでゴールを決め、フランスにとって今大会初めてリードを許すこととなった。しかし、35分にブニョがペナルティエリア内でファウルを受け、今大会好調のシセがペナルティキックを決めて同点に追いつく。そして前半終了間際の41分には、メンディが勝ち越し点を決めて前半を終了する。
 後半に入るとフランスがゲームを支配し、大会に入って最高の試合内容となる。またドイツも反撃し、両チームのシュートシーンの多い好ゲームとなる。しかしなが ら、79分に後半始まって最初のゴールを上げたのは左サイドを見事なドリブルで突破したドイツのトーステン・バークハードであった。同点に追いつかれたフランスはロスタイムに今大会のラッキーボーイとなるシセがオフサイドぎりぎりから突破し、ドイツのGKのトム・スタークをかわし、無人のゴールに決勝点は吸い込まれていったのである。シセは今大会4試合で6得点となり、23年前のマリオ・ケンペスを思わせる活躍をアルゼンチンの地で成し遂げた。
 シセの活躍でチームは準々決勝進出。鬼門を乗り越えた1981年世代はその後フル代表で活躍している1977年世代(1997年大会に出場し、準々決勝で敗退)にこの時点で追いついた。7月1日の準々決勝は首都ブエノスアイレスに移動し、相手は1978年大会の再現を狙う地元アルゼンチンである。(次回に続く)

コルドバ
アルゼンチン北部にある、首都ブエノス・アイレスに次ぐ第2の都市。キューバ革命で知られる「チェ・ゲバラ」の育った街としても有名。コルドバを本拠地とする1部のチームは「ベルグラーノ」と「タジェレス」の2チーム

マリオ・ケンぺス
元アルゼンチン代表のFW。78年の地元アルゼンチンワールドカップのヒーローで、6点を取りその大会の得点王となった。アルゼンチン国内では、「エルマタドール(闘牛士)」と呼ばれた

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