第177回 マルタ、イスラエルと連戦(6) イスラエルの歴史を変えたフランス戦

■1994年ワールドカップ予選から欧州の一員に定着

 流浪の旅を続けてきたイスラエルは、1980年代はオセアニアグループに入れられることが多かったが、UEFAへの申し入れが受け入れられ、1994年ワールドカップの予選から欧州の一員となったのである。
 最初の目的地である米国はヘンリー・キッシンジャーがサッカーを普及させた地である。イスラエル人にとってこれほどふさわしいゴールはない。ところが久しぶりの欧州予選はやはり高い壁であった。フランス、スウェーデン、ブルガリア、オーストリア、フィンランド、そしてイスラエルで形成されるグループ6。イスラエルの初戦はアウエーでのオーストリア戦、2-5と大敗を喫する。その後ホームで3連戦するが、スウェーデンに1-3、ブルガリアに0-2、フランスに0-4と壁の高さを思い知らされる。ようやく5戦目のアウエーのブルガリア戦を2-2のドローに持ち込み、初勝ち点をあげるが、勝ち星のないまま予選は終盤を迎える。

■歴史的な勝利となったフランス戦

 そしてイスラエルにとって8戦目となるアウエーのフランス戦は両国のサッカーの歴史を変えた。フランスはここまで8戦して6勝1分1敗。グループトップであり、イスラエル戦で引き分け以上なら新大陸へのチケットを手に入れることができる。フランスにとって相手はグループ最下位である。1993年2月17日に行われたアウエーの試合ではベルナール・ラマ、ポール・ルグアン、パトリス・ロコと大量3人を代表にデビューさせるという余裕の布陣ながら、エリック・カントナの先制点、ローラン・ブランの2得点、アラン・ロッシュのだめ押し点で4-0と大勝している。油断したり、我を忘れていたりしたわけではないであろう、この試合でイスラエルは21分に先制点をあげる。ところがフランスは29分にフランク・ソーゼが同点ゴール、39分にはダビッド・ジノラが逆転ゴールをあげ、フランスの勝利を誰もが確信した。
 ところが83分、弱冠20歳で途中出場したエヤル・ベルコヴィッチが同点ゴール。しかしまだフランスのワールドカップ出場を疑う者はいなかった。そして長いロスタイムの93分、ロン・ローゼンタールからのクロスをルーベン・アタールがボレーシュートし、呆然とするフランスGKラマ。そしてスタジアムのいたるところで歓声が上がった。イスラエル協会を通じて割り当てられた座席以外から歓声が上がったことは、数多くのフランス在住のユダヤ人がこの試合のチケットを入手したことを意味している。実にフランスにとってはワールドカップ予選ならびに欧州選手権予選のホームゲームで敗れたのは6年前の欧州選手権予選の東ドイツ戦以来、そしてワールドカップ予選については1968年11月のストラスブールでのノルウェー戦までさかのぼらなくてはならない。一方、イスラエルにとって、ワールドカップ予選で欧州のチームに勝ったのは1960年11月27日のキプロス戦以来33年ぶりという歴史的勝利であった。

■1996年欧州選手権予選での飛躍

 イスラエルに敗れたフランスはショックが尾を引き、ブルガリア戦でもロスタイムに失点して、2大会連続してワールドカップ出場を逃す。一方、イスラエルはフランス戦の勝利がこの予選で唯一の勝利となり、グループ最下位に終わる。しかし、この勝利がイスラエルの飛躍のばねとなり、1996年欧州選手権予選から飛躍が始まる。初戦でいきなりポーランドに勝利、フランス、ルーマニア、スロバキアと言う強豪相手にホームでは引き分けに持ち込み、アゼルバイジャンにはホーム、アウエーとも連勝する。一時はグループ内でトップになることもあり、欧州を驚かせた。グループ内で5位に終わったが3勝3分4敗という成績は大きな前進であった。

■手ごたえをつかんだ1998年ワールドカップ予選

 1998年ワールドカップ予選ではさらに躍進した。予選の初戦で前回4位のブルガリアを2-1と破る好調なスタート。続く強豪ロシア戦もホームで引き分けに持ち込む。結局4勝1分3敗と勝ち越し、この2チームに次いでグループ3位となる。欧州での挑戦3回目でワールドカップや欧州選手権は夢ではなくなった、という手ごたえをつかんだのである。(この項、続く)

このページのTOPへ