第756回 ミラノでイタリアとの決戦(2) フランス代表、サンシーロ競技場での初舞台

■代表チームの本拠地を固定していないイタリア

 フランスを迎え撃つイタリアはホームゲームの会場にミラノのサンシーロ競技場を選んだ。フランス代表の本拠地はスタッド・ド・フランスであるが、イタリア代表は特定のスタジアムを本拠地としていない。欧州の有力国で代表チームが本拠地を固定しているのが、イングランド、フランスなどであり、逆にドイツやイタリアは特定の都市を本拠地としていないと表現したほうがいいであろう。今回の予選の開催地を見てもイタリアの場合子のフランスがホームでの4戦目となるが、これまでの3試合はナポリ(リトアニア戦)、ローマ(ウクライナ戦)、バーリ(スコットランド戦)となっている。また、ドイツもシュツットガルト(アイルランド戦)、ニューレンブルグ(サンマリノ戦)、ハンブルグ(スロバキア戦)とイタリア同様にホームゲームの開催都市を固定していない。これは各国の成立の歴史を考えてみればわかることで、ロンドンやパリという都市を中心として国家が拡大してきたのがイングランドやフランスであり、ドイツやイタリアはそれぞれの小国が連邦のように結合して形成された歴史から、首都をピラミッドとする構造ではなく、有力な地方都市が分散しており、まさに群雄割拠の歴史が今まで続き、代表チームの試合会場にもその色が残っているのである。

■主催チームによって異なる呼称

 1926年に完成したこの巨大なスタジアムはその巨大さだけではなく美しさからもサッカーのオペラ座と言われ、当初はACミランの本拠地であったが、1947年以降はライバルのインテル・ミラノも本拠地として共用している。サンシーロ地区にあることからサンシーロ競技場と言われているが、ACミランとインテル・ミラノの両チームに所属した名選手のジュゼッペ・メアッツァの名をとってジュゼッペ・メアッツァ競技場とも言われる。ACミランの主催試合のときはサンシーロと表記され、インテル・ミラノの主催試合のときはジュゼッペ・メアッツァと表記される。フランス代表の今回の24人のメンバーのうち、パトリック・ビエイラはインテル・ミラノの選手であり、それ以外にもイタリアリーグに所属する3人の選手(セバスチャン・フレイ:フィオレンチナ、フィリップ・メクセス:ASローマ、ダビッド・トレゼゲ:ユベントス)は少なくとも年に2回この競技場で試合を行っている。

■サンシーロ競技場で圧倒的な強さを誇るイタリア代表

 何人かのフランスの選手がこの競技場に熟知している中で、イタリアがこのフランス戦の会場として選んだのはいくつか理由があるであろう。まず、イタリアで最も巨大なスタジアムであると言うことである。収容人員は82,955人であり、1990年のワールドカップの決勝が行われたローマのオリンピック競技場をしのぐ収容人員を誇る。そして、イタリア代表がこのサンシーロ競技場では非常にいい成績を残していることが指摘できる。これまでにイタリア代表は51試合戦ってきたが、その戦績は36勝13分2敗という抜群の成績を残している。ちなみに2回の敗戦はいずれもハンガリー戦であり、遠い昔のことである。また、1938年、1990年と2回のワールドカップを経験した世界でも数少ない競技場である。
 これまでにこのサンシーロ競技場は何度か改装を重ね、1990年のワールドカップのあとにすでに改装を重ねている。かつては公称で15万人収容(実質的には12万人)を誇っていた時代もあり、このサンシーロ競技場の最多観客動員記録は、1956年4月25日のブラジルとの親善試合であり、12万5000人を集めたこの試合でイタリアはブラジルを3-0と下し、1963年5月12日にもペレを擁するブラジルを3-0と返り討ちしている。

■サンシーロ競技場で試合をしたことがないフランス代表

 ところで肝心のフランスのミラノでの戦績については、これまでにフランスとイタリアは34回対戦し、イタリア国内では15回対戦しているが、このサンシーロ競技場では対戦したことがない。フランスとイタリアはこれまでにミラノで2回試合をしたことがあるが、1910年と1920年のことであり、サンシーロの完成前である。イタリアで開催されたワールドカップや欧州選手権の本大会での他国との対戦についても、フランスは1934年のワールドカップに参加しているが、トリノで行われた1回戦でオーストリアに敗れ、1990年のワ ールドカップ、1968年と1980年に行われた欧州選手権では予選で敗退してしまっている。
 多くのフランス人選手がミラノの2大クラブのメンバーとしてこのサッカー界のオペラ座の舞台に立ちながら、100年の歴史を持つフランス代表はこれが大舞台でのデビューなのである。(続く)

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