第2742回 第2回UEFAネーションズリーグ開幕(19) フィンランドに初黒星、ホームで17試合ぶりの敗戦

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■欧州主要リーグのクラブのメンバーのいないフィンランド

 11月14日のポルトガルとの直接対決を控えた11日、フランスはフィンランドとスタッド・ド・フランスで親善試合を行う。欧州選手権本大会の出場権を初めて獲得したとはいえ、過去の8回の対戦ではいずれもフランスが勝利している。
 無人のスタッド・ド・フランスのピッチに立った11人のメンバーであるが、欧州の五大リーグの1部のクラブに所属している選手はいない。もっともそれに近い選手は今季イタリアの2部に相当するセリエBに陥落したブレシアに所属するGKのイエッセ・ヨロネンである。

■親子で代表戦に出場したマーカス・テュラム

 一方のフランスは、システムは10月と同じく、4-4-2システムを採用するが、親善試合ということで思い切ったメンバー起用となった。GKはスティーブ・マンダンダ、DFは右からレオ・デュボワ、クルト・ズーマ、クレマン・ラングレ、ルカ・ディーニュ、MFは右からムーサ・シッソコ、スティーブン・エンゾンジ、ポール・ポグバ、マーカス・テュラム、FWは右にオリビエ・ジルー、左にウィッサム・ベン・イェデルとなる。前回の本連載で紹介したテュラムが代表にデビューし、27年ぶりの親子での代表戦の出場となった。また、主将は最年長のマンダンダが務める。

■二度の対戦で犠牲となった代表選手へのオマージュ

 さて、11月11日というのは欧州の人々にとっては特別な日である。それは1914年から4年間続いた第一次世界大戦が終結した日であり、世界平和記念日となっている。地上戦が中心であり、第二次世界大戦よりも厳しい戦いであり、100年以上たった今でも欧州に深い傷跡を残している。
 フランス代表歴のある選手の中で第一次世界大戦で亡くなったのはジュリアン・ベルブルッヘ、第2733回の本連載にも登場したが、16歳10か月で代表戦にデビューした最年少記録の保有者である。フランス代表としては1906年から1911年まで活躍した。1916年にソンムの戦いで戦死している。享年26歳であった。
 一方、第二次世界大戦で亡くなったのはユージヌ・マエスである。ベルブルッヘと同世代であり、同じ試合に出場したこともある。第二次世界大戦中にゲシュタポに連行されて、ドイツの強制収容所にとらわれる。終戦を控えた1945年3月に強制収容所で亡くなっている。
 フランスサッカー連盟は無観客の試合であるが、この2人の肖像を現役の選手とともに並べたポスターを制作し、平和への希求と国民の連帯を訴えたのである。

■前半にまさかの2失点、ホームでは2年8か月ぶりの敗戦

 そのような特別な日に行われた試合は特別な結果になってしまった。デビュー戦となったテュラムは16分にはヘディングでシュート、決まったかと思われたがバーに阻まれた。また、この日が73試合目の代表戦となり、出場回数でミッシェル・プラティニを抜いたポール・ポグバも活躍する。しかし、フランスはなかなか得点を奪えない。逆に先制点はフィンランドであった。28分にシッソコがボールを失い、マルクス・フォルスがラングレに競り勝ってマンダンダと一対一になり、先制点を奪う。フィンランドはこれが最初のシュートであり、ミスからの失点でフランスのイレブンはあっけにとられた。そしてこれはフォンランドがフランスとの9回目の対戦にして初めリードした瞬間でもあった。
 そのショックから立ち直る前に、フィンランドは追加点を奪う。フランスはまたボールを自陣で失い、今度はオンニ・バラカリが20メートルのミドルシュートを放つ。マンダンダもセーブしたが及ばず、フランスは立て続けに失点した。
 フランスがホームゲームで2点を前半に奪われるのは5年前のベルギー戦以来のことである。親善試合とはいえ、ショッキングな展開、ハーフタイムにも選手交代はなく、後半に入ってもフィンランドが得点機をつかむ。エンゴロ・カンテ、アントワン・グリエズマン、ラファエル・バランなどの主力だけではなく初招集のルーベン・アギラーも後半に投入するが、後半も無得点で0-2で敗れてしまう。フランスのホームでの敗戦は2018年3月23日のコロンビア戦以来、17試合ぶりのこととなったのである。(続く)

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