第147回 UEFAカップも惨敗(3) ボルドー、パリサンジェルマン、3回戦進出

■ボルドー、アウエーでの第1戦に勝利

 UEFAカップ2回戦に進出したボルドーはスウェーデンのジュルガーデン、パリサンジェルマンはルーマニアのナシオナル・ブカレストと対戦することになった。1回戦は両チームとも第1戦をホームで戦ったが、2回戦は両チームともアウエーでの戦いとなる。
 ボルドーは1回戦に続き火曜日に試合を行い、10月29日に第1戦が行われた。ジュルガーデンの本拠地はストックホルムのオリンピックスタジアム。ストックホルムと言えば日本の皆さんにとってはノーベル賞の授賞式の行われた場所であり、非常に親しみを感じている場所であろう。逆にストックホルムでは日本=サッカーと言う図式が成立しており、1949年に湯川秀樹氏がノーベル物理学賞を受賞した時、地元の報道陣に1936年のオリンピックで日本がスウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」について質問が集中したという逸話が残っている。スウェーデンは日本と気候が似ており、リーグ戦の開催期間も日本とほぼ同じである。ジュルガーデンは終盤を迎えたリーグ戦で36年ぶりの優勝に向けて首位を快走している。一方のボルドーはリーグの中位と不本意な成績で、諸聖人祭の休暇に行われる2回戦を迎えることになった。ボルドーは昨年度のリーグ得点王をジブリル・シセと分け合ったポルトガル代表のパウレタがベンチスタートという荒療治。この荒療治がイレブンを発奮させたのか、試合はボルドーが完全に支配する。前半は両チーム無得点であったが、63分にギニア代表のパスカル・フェインデューノが決勝点を上げ、アウエーでの第1戦に勝利したのである。

■ワルター・ゼンガ、不運に泣く

 パリサンジェルマンは10月31日にブカレストで試合を行った。ナシオナル・ブカレストの監督には今年ワルター・ゼンガが就任した。ゼンガはイタリア代表GKとして大活躍し、インテル・ミラノの選手として1991年のUEFAカップを制覇し、監督としてUEFAカップに戻ってきた。しかし、この試合、ゼンガには2つの不運が重なり、1つの幸運を生かすことができなかった。最初の不運は守備の中心であり元ルーマニア代表のダニエル・プロダンの欠場である。プロダンの父が逝去し、試合開始に先立ち黙祷が捧げられた。黙祷に続いてキックオフされ、パリサンジェルマンのローラン・ルロワが5分に先制点をあげる。ゼンガにとって2つ目の不運は10分と22分にPKとなりそうなシーンがあったが、いずれも認められなかったことである。試合は荒れ気味となり、試合はイエローカードが連発される。後半に入り63分、ジェローム・ルロワがこの試合両チーム通算7枚目、そして自身2枚目のイエローカードを受けて退場処分となる。一人少ないパリサンジェルマン、アウエーの試合で残り時間は約30分。これがゼンガに与えられた唯一の幸運であったが、10月の戦績がリーグ戦3勝、欧州カップ1勝と好調なパリサンジェルマンは逆に69分にアンドレ・ルイスが追加点をあげる。パリサンジェルマンもボルドー同様アウエーの第1戦で勝利し、地元に帰ったのである。

■ボルドー、パリサンジェルマン、ともにホームでも連勝

 ボルドーは第2戦も火曜日の11月12日に試合を行う。この試合も第1戦で得点をあげたフェインデューノが活躍し、36分と50分に連続得点。第1戦から通算して「ハットトリック」を達成する。後半も半ばを過ぎるとボルドーの緊張の糸が切れたのか、ジュルガーデンが攻め込み、72分に1点を失うが、そのまま逃げ切り、昨年に続いてUEFAカップ3回戦進出を決めたのである。
 パリサンジェルマンは2回戦の第2戦を木曜日の14日に迎えた。第1戦で2-0とセーフティリードしたパリサンジェルマンは本拠地パルク・デ・プランスで余裕あふれるキックオフ。心理的に優位に立つパリサンジェルマンはローラン・ルロワが第1戦に続き、得点をあげ、そのまま勝利。すでに前日の13日にはランスもチャンピオンズリーグの1次リーグで3位に終わり、UEFAカップ出場が決定している。

■フランス勢5チームがUEFAカップ3回戦に挑戦

 この結果、UEFAカップの3回戦にはリヨン、ランス、オセール、ボルドー、パリサンジェルマンの5チームが勢ぞろいすることになったのである。(続く)

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