第321回 ファイナリストへの第1戦(2) マルセイユはニューキャッスルでドロー

■フランス代表の思い出の地、ニューキャッスル

 モナコの見事な勝利から2日後の4月22日、UEFAカップ準決勝第1戦がニューキャッスルで行われた。クラブチームではなく代表チームの話題となるが、100年の歴史を有するフランス代表がサッカーの母国イングランドの地で今まで勝利をあげたことはわずか3回しかない。イングランド代表との対戦は1999年2月にウェンブリーで勝利したのが最初である。イングランド代表以外との対戦の機会は1966年のワールドカップと1996年の欧州選手権が該当するが、1966年のワールドカップは1分2敗と惨敗する。1966年の欧州選手権は準決勝まで進出しているが、5試合で2勝3分(1PK勝ち、1PK負けを含む)である。この2勝はグループリーグ(初戦のルーマニア戦と最終戦のブルガリア戦)であげられたものであるが、いずれも試合会場はニューキャッスルのセントジェームズパークであった。そして勝ち星をあげることができなかったそれ以外の3試合の会場はいずれもニューキャッスル以外であり、フランス代表にとってニューキャッスルは相性のいい都市であったことがわかる。このニューキャッスルの2勝は単に欧州選手権での準決勝進出だけではなく、その後の1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権の二冠へと続く栄光の第一歩となったことは本連載で何度か紹介したとおりである。

■8年前の欧州選手権では控えだったファビアン・バルテス

 8年前に欧州選手権を戦ったフランス代表も世代交代してしまったが、この欧州選手権当時で控えGKだったのがファビアン・バルテスである。バルテスは今年初めにマルセイユに復帰し、UEFAカップ準決勝進出の守備面での立役者となっている。一方、攻撃面での最大の功労者はディディエ・ドログバであり、インテルミラノとの準々決勝の第1戦で得点をあげた直後の歓喜が過度であったために警告処分を受けて第2戦を欠場してしまったが、ドログバの欠場にもかかわらず、マルセイユはミラノでも勝利し、ドログバは満を持してのニューキャッスル入りとなる。

■5回目の準決勝進出となるマルセイユ

 マルセイユは欧州カップでこれが通算5回目の準決勝進出である。過去4回の準決勝の歴史をひも解くと、最初の準決勝は1988年のカップウィナーズカップのアヤックス戦、1勝1敗ながら合計スコアで決勝進出を逃す。2度目は本連載でもしばしば紹介している1990年のチャンピオンズカップのベンフィカ戦である。マルセイユで先勝したものの、リスボンでの第2戦でのベンフィカ選手のハンドによる疑惑のゴールで宿敵ACミランとの決勝は実現しなかった。そしてマルセイユが初めて準決勝の壁を越えたのは翌年のチャンピオンズカップでのスパルターク・モスクワ戦である。スパルターク・モスクワは冷戦終結を機に北方領土返還を迫る日本を封じ込めるミハイル・ゴルバチョフ政権の特使的な立場となってマルセイユ戦直前に日本遠征を余儀なくされる。疲労している相手に対しマルセイユは連勝し決勝進出を果たす。そして1999年のUEFAカップではボローニャを下して決勝に進む。つまり準決勝に進出したうちの半分は決勝に進出しているが、過去2回の準決勝は勝ちあがっており、フランスサッカーにとって思い出深いニューキャッスルの地で今回は3回連続の準決勝突破を果たしたいところである。

■役者不足を感じさせない激しい攻防はスコアレスドロー

 ドログバが復帰してきたマルセイユであるが、スティーブ・マルレ、アメード・ミドという攻撃陣が負傷のため欠場する。一方のニューキャッスルは大量の負傷者を抱え、多くの役者を欠く陣容で両チームはセントジェームズパークでキックオフを迎えた。試合は役者不足の懸念とは裏腹に激しい攻防が続き、両チームのゴール前での展開の多いスリリングな試合となった。マルセイユも好機は少なくなかったが、なんと言ってもニューキャッスルの攻撃を耐え忍んだマルセイユの守備も見事であろう。マルセイユの守備の要は8年前、ベンチから勝ち試合に拍手を送っていたバルテスである。バルテスの再三のファインセーブによってマルセイユは第1戦をスコアレスドローで乗り切る。欧州カップでマルセイユが5年ぶり3度目のファイナリストとなることを信じるマルセイユのファンは、5月6日にベロドロームを真っ青に染めるのである。(この項、終わり)

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