第2407回 10月のチャンピオンズリーグ (2) 忘れられぬチーム、レッドスター・ベオグラード

 7年前の東日本大震災、一昨年の平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■新ユニフォームの初戦を飾ることができなかったパリサンジェルマン

 前回の本連載ではチャンピオンズ第2節で無観客試合となったリヨンがウクライナのシャフタール・ドネツクに2点を先行されながら追いついたことを紹介した。サポーターの過激さという点ではリヨンはパリサンジェルマンに及ばない。数々のトラブルを起こしてきたブローニュ・ボーイズをはじめとして様々なサポーター組織があり、日本でもトーキョー・ボーイズの存在は良く知られたところである。パリサンジェルマンは第1節ではアウエーでイングランドのリバプールに乗り込み、エア・ジョーダンとのコラボ―レーションによる新ユニフォームで戦ったが、アディショナルタイムに決勝点を奪われ、黒星スタートとなっている。

■国内リーグでは独走、ホームのチャンピオンズリーグでは14年間無敗

 パリサンジェルマンの第2節は10月3日のゲームとなる。パリサンジェルマンは、チャンピオンズリーグでは黒星でスタートしたが、国内のリーグ戦では開幕以来8連勝で早くも独走の気配、またチャンピオンズリーグのホームゲームでは2004年12月にロシアのCSKAモスクワに敗れたのを最後に18戦負け知らず、14勝4分と抜群の強さを誇っている。第2節の相手はセルビアのレッドスター・ベオグラードと対戦する。

■チャンピオンズカップ決勝でマルセイユにPK勝ちしたレッドスター・ベオグラード

 レッドスター・ベオグラード、フランスのサッカーファンにとっては忘れられないチームである。1990-91シーズン、当時、民族紛争に揺れるユーゴスラビアのリーグチャンピオンとしてチャンピオンズカップに出場したレッドスター・ベオグラードは準決勝で西ドイツのバイエルン・ミュンヘンを下し、チャンピオンズカップの決勝に進出する。決勝はイタリアのバーリで1991年5月29日で行われ、相手は絶頂期のマルセイユである。イタリアのACミランとしのぎを削っていたマルセイユは、準々決勝でACミランを下し、準決勝ではソ連のスパルターク・モスクワを一蹴、下馬評は圧倒的にマルセイユ有利、そして試合もマルセイユが圧倒するが、なかなかゴールをあげることができず、120分経過した段階でも両チーム無得点、東京行きのチケットはPK戦となった。マルセイユはファーストキッカーのマニュエル・アモロが失敗、120分の試合中にほとんどボールを触らなかったGKのパスカル・オルメタはレッドスター・ベオグラードのキック1本も止めらなかった。レッドスター・ベオグラードは全員が成功させ、初優勝を果たす。マルセイユ、そしてフランスはこの敗退に沈んだのである。マルセイユはその2年後、チャンピオンズリーグの決勝で勝利するが、八百長疑惑でその後は低迷する。

■優勝後、長い低迷期の続くレッドスター・ベオグラード

 一方、レッドスター・ベオグラードはこの優勝を最後に低迷する。東京で行われたインターコンチネンタルカップでは勝利したものの、その後はUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)のグループリーグに出場したことが3回あるだけで、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの予備戦に出場することはあっても一度もチャンピオンズリーグの本戦、グループリーグには出場できなかったのである。
 これはユーゴスラビアの解体と大きく関連しているであろう。1991年に欧州のチャンピオンになった時は外国人枠という制限のある時代であったが、先発11人のうち10人が当時のユーゴスラビアの選手でほぼユーゴスラビア代表というメンバーであった。それがユーゴスラビアの解体によりセルビアのチームとなり、有力選手は国外のビッグクラブに流出してしまった。ようやく昨季はヨーロッパリーグのグループリーグで2位になり、決勝トーナメントに進出、ベスト32入りし、CSKAモスクワと対戦した。実はこれが今世紀初めての欧州カップでの越年であった。
 そしてこの勢いでセルビアリーグも2季ぶり28回目の優勝を果たし、チャンピオンズリーグの予備戦1回戦から欧州の舞台を目指す。1991年の栄光を最後に長く低迷が続いたとはいえ、欧州カップの予備戦にも出場できなかったのはそれ以来2014-15シーズンの1シーズンだけ、名門のファンも出ると負けに慣れてしまっている。しかし、今季のレッドスター・ベオグラードは違ったのである。(続く)

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