第2011回 国内三冠を狙うパリサンジェルマン(3) この1戦にかけるソショーとマルセイユ

 平成28年熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に、謹んで哀悼の意を表します。 この地震が1日でも早く収まることと、被災地の皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。

■親会社の不振で中国資本になりながら不振のソショー

 2007年のフランスカップ決勝でPK勝ちし、70年ぶりのタイトル獲得となったソショーは翌年のUEFAカップは1回戦負け、その後は国内でのタイトルを獲得することもなく、2014-15シーズンからは2部での戦いが続く。そして、昨年、中国資本になったものの、成績は不振である。パリサンジェルマンが中東資本になって成長したのとは対照的で、成績は低迷している。もっとも、ソショーはもともとプジョーの企業内チーム的な位置づけであり、親会社のプジョー・シトロエンの経営不振によって中国資本になったという経緯があり、欧州のビッグクラブがその成長性を見込まれて中東やアジアの資本の傘下になったのとは違う事情もある。
 しかし、プジョー・シトロエンの工場の中に練習グラウンドなどがあり、社員が練習を見るのが楽しみであった。そのプジョー・シトロエンの社員もこの40年間で4万2000人から1万人へと大きく減少してしまった。プジョーという支えがなくなった今、このマルセイユ戦で勝利し、9年ぶり6回目のフランスカップ決勝に進むことがファンの心を再度つかむきっかけとなる。

■リーグカップ3連覇、リーグ制覇も果たしたマルセイユ

 対するマルセイユは1990年前後のベルナール・タピ時代の黄金時代も1993年の八百長疑惑で消え去り、長い低迷期が続き、特にカップ戦では前年のフランスカップだけではなく、UEFAカップでも2度決勝で敗れるなど、決勝戦で泣いてきた。そしてソショーとの戦いで敗れたわけであるが、この敗戦を最後にカップファイナルでは歓喜が続く。2010年のリーグカップで優勝し、18年ぶりのタイトル獲得となる。また同シーズンはリーグでも優勝する。またリーグカップでは3連覇し、名門は戻ってきた。

■フランスカップ最多優勝記録を誇るマルセイユ

 しかしながら、フランスカップだけは1989年を最後にタイトルから遠ざかっている。マルセイユはこれまでにフランスカップで10回優勝しており、最多優勝回数を誇っているが、近年優勝回数で迫ってきたのがパリサンジェルマンである。マルセイユが最後にフランスカップを掲げた1989年時点でパリサンジェルマンは2回しかフランスカップで優勝したことがなかったが、その後、1993年、1995年、1998年、2004年、2006年、2010年、2015年と7回優勝、通算優勝記録を9回に伸ばし、今年優勝すればマルセイユと並ぶことになる。マルセイユにとってはパリサンジェルマンの優勝を自らの力で阻止し、27年ぶりの優勝を果たしたいところである。

■準決勝前日にミッチェル監督の更迭を発表したマルセイユ

 しかし、今世紀に入ってからはリーグ戦の順位は10位が1度あるだけでそれ以外は一桁の順位をキープしてきたマルセイユも今季は現時点で15位と低迷している。この低迷するマルセイユに大きな問題が起こった。準決勝の前日にクラブの経営陣はスペイン人のミッチェル監督を更迭することを発表したのである。
 このところのマルセイユは監督の交代が激しい。特に2011年にバンサン・ラブルンが会長に就任してからは毎年のように監督が交代する。チリ人の名将マルセロ・ビエルサが今季開幕直後に辞任したことは本連載で紹介した通りである。ビエルサの電撃辞任後にフランク・パッシが一時的に指揮を執っていたが、ミッチェルにバトンを渡している。
 レアル・マドリッドの伝説的名手として、そしてスペイン代表のメンバーとして名を刻むミッチェルは引退後は指導者としてスペインの複数のクラブの監督となったが、2013年から指揮を執ったギリシャのオリンピアコスの監督としての評価は高い。ギリシャリーグ、ギリシャカップで優勝に導いただけではなく、チャンピオンズリーグでもチームを決勝トーナメントに進出させた。
 このような手腕を評価され、昨夏マルセイユの指揮官となったが、在任中の成績は8勝16分8敗、1年も持たず、更迭の憂き目にあったのである。
 今季の1部20チームのうち、監督交代はこれで12人目となる。これまで多くても5人くらいであり、監督受難の年となった。
 後任の監督は再びパッシ、ライバルのパリサンジェルマンへの挑戦権を獲得することができるのであろうか。(続く)

このページのTOPへ