第2012回 国内三冠を狙うパリサンジェルマン(4) マルセイユ、ソショーを下し19回目の決勝進出

 平成28年熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に、謹んで哀悼の意を表します。 この地震が1日でも早く収まることと、被災地の皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。

■オーナーのマルゲリータ・ルイ・ドレフュス氏がクラブの売却を発表パッシ

 パリサンジェルマンとのフランスカップ決勝での対戦をかけた戦いとなったソショー-マルセイユ戦、親会社の不振から長年にわたって支援を受けてきたプジョー・シトロエンと離れたソショーがマルセイユを迎え撃つ。
 マルセイユは監督を代えたが、マルセイユの混乱は監督だけではない。マルセイユは1980年代から1990年代まではベルナール・タピが所有していた。大西洋をはさんで米国のトランプ、フランスのタピと言われた会長は大型補強で一時代を築いたが、八百長事件でマルセイユの経営から手を引いた。1996年からはアディダスのCEOも務め、フランスを代表する総合商社ルイ・ドレフュスのオーナーであるロベール・ルイ・ドレフュスがオーナーとなった。ルイ・ドレフュス氏は年月をかけてクラブを再建、国内タイトルを獲得するに至った。しかし、そのドレフュス氏も2009年に白血病で亡くなる。そしてドレフュス氏に代わってオーナーとなったのが夫人のマルゲリータ・ルイ・ドレフュス氏であった。マルゲリータ・ルイ・ドレフュス氏は本業のルイ・ドレフュス社では実権を握ることができなかったが、サッカークラブのマルセイユではオーナーとして君臨する。マルゲリータ・ルイ・ドレフュス氏がオーナーであることに対し、ファンは以前から不満を持っていたが、今季の不振でマルゲリータ・ルイ・ドレフュス氏はクラブを売却することを決断し、4月14日に発表し、次期の所有者や会長については候補が入り乱れる中での監督交代となった。

■青と黄色の2色に染まったソショーの本拠地、オーギュスト・ボナル競技場パッシ

 このようにお家騒動に揺れるマルセイユに対し、ここまでモナコ、ナント、バスティアと1部勢3チームを下してきたソショーは準備も万端である。会場のオーギュスト・ボナル競技場は2万近い観衆でチケットは完売、ソショーのチームカラーの黄色と青の2色に染まる。
 両チームはこれまでにフランスカップでは8回対戦し、そのうち1回は前回の本連載で紹介した2007年の決勝であり、この時はソショーが優勝している。それ以外の7回は準決勝以下での対戦であり、マルセイユが勝ち抜いたのは5回、ソショーが勝ち抜いたのは2回である。

■バジル・ボリとコンビを組む新監督のフランク・パッシ

 この試合の前日にマルセイユの監督になったフランク・パッシは内部からの起用であり、この数週間は日本の浦和レッズでも活躍したバジル・ボリと共にチーム再建に向けて手を打ってきており、チーム事情はよく知っている。パッシ監督はスティーブン・フレッチャーとミヒー・バチュアイの2トップ、中盤にはアブー・ディアビを起用する。

■劣勢のマルセイユを救ったスティーブン・フレッチャーとミヒー・バチュアイの2トップ

 試合は立ち上がりから両チームが見せ場を作る。ホームのソショーがファンの大声援に応え、シュートをしばしば放つが、スティーブ・マンダンダが得点を許さない。一方のマルセイユは前半のシュート数はわずか1で終わる。
 しかし先制点はマルセイユであった。カウンターアタックから49分、バチュアイ~フレッチャーへとパスがつながり、最後はフローリアン・トーバンが右足でシュート、この日2本目のシュートが先制点となった。ここまでマルセイユはフランスカップでは4試合戦ってきたが無失点である。またマルセイユはフランスカップにおいてアウエーゲームを苦としない。
 この1点で試合の流れはマルセイユが握った。それまでの沈黙が嘘のようにマルセイユは攻勢を強める。追加点こそならなかったが、ソショーに攻撃のチャンスを与えなかった。
 ソショーは後半のアディショナルタイムにFKのチャンスを得て、GKのベルナーが前線に上がりヘディングで同点を狙うもマンダンダが難なく処理、万事休す。ソショーのファンの大声援も及ばず、マルセイユが1-0で勝利し、19回目の決勝進出を決める。マルセイユは5戦連続無失点でパリサンジェルマンとの決勝に臨むのである。(続く)

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