第2690回 パリサンジェルマン、フランスカップ制覇(2) フランスカップ決勝戦が引退試合となるロイック・ペラン

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■38年ぶりにフランスカップ決勝に戻ってきたサンテチエンヌ

 フランスカップ史上初のPK戦になった決勝から38年、サンテチエンヌが戻ってきた。この38年の間にフランスのサッカーはマルセイユ、リヨン、パリサンジェルマンが黄金時代を築き、特に2010年代はパリサンジェルマンの時代であり、タイトル獲得を積み重ねてきた。特にカップ戦のスペシャリストということでフランスカップは6年連続の決勝進出、この38年間で12回の優勝を果たしている。単純に言えば3年に1回優勝していることになる。
 一方のサンテチエンヌ、前回の本連載でも紹介した通り、1980年代初めまでは代表クラスの選手を多数抱えており、1982年のワールドカップにはミッシェル・プラティニをはじめとして6人を送り込んでいた。ところが、この1982年のフランスカップ決勝を最後にフランスリーグ、フランスカップでは優勝争いには関与できていない。リーグでは2部降格の憂き目も経験している。唯一のタイトルは2013年のリーグカップ優勝である。近年はリーグ戦の順位も中位以上をキープするようになってきた。そして伝統のリヨンとのロワールダービーは健在である。リヨンは昨季まで23季連続で欧州カップに出場している。リヨンもサンテチエンヌも欧州カップ出場はシーズン最後のカップファイナルにゆだねられることになる。

■準決勝のレンヌ戦後のファンの歓喜

 サンテチエンヌが38年ぶりのフランスカップ決勝進出を決めたのはコロナウイルスの感染拡大がまだ本格的ではなかった3月5日のことであった。レンヌを本拠地のジェフロワ・ギシャールに迎えた一戦は平日の夜、さらには新型コロナウイルスの見えざる脅威もフランス国内に入ってきた中で、今季初めて満員札止めの試合となった。この試合の模様については本連載第2641回で紹介した通りであるが、試合終了後にピッチに観客がなだれ込んできた光景である。これはマナー違反であるが、決勝進出を喜ぶファンが和やかにピッチ上で選手を祝福しているシーンは間違いなく今季のフランスサッカーのベストショットであろう。前日に決勝進出を決めているのが38年前の対戦相手であるパリサンジェルマンもオールドファンの心に火をつけたといえるであろう。

■サンテチエンヌ生まれでサンテチエンヌ一筋のロイック・ペラン

 フランスを代表する熱いファンを抱えるサンテチエンヌ、そのファンから浴びせられる拍手の音量が一番大きいのは主将のロイック・ペランである。1985年にサンテチエンヌで生まれ、これまで34年間、サンテチエンヌで生活してきた正真正銘のステファノワ(サンテチエンヌ人)である。フランスで最もサッカーが盛んな地方で幼少のころからサッカーボールとともに成長してきた。地元のチームからサンテチエンヌの下部組織に加わったのは12歳の時、1997年のことである。当時のトップチームは2部に低迷していたが、ペランはあこがれの地元のチームに加わった。アンダーエイジのフランスのリーグ戦やカップ戦でチームを上位進出に導いている。

■17年間のプロ生活にピリオド、フランスカップ決勝戦が引退試合

 そしてようやくペランがプロにデビューしたのは2003年の夏のことであった。チームは一時1部に復帰したが、2季であえなく2部転落、ペランのプロデビュー戦も2部リーグのロリアン戦であった。このシーズンにペランは7試合しかリーグ戦に出場しなかったが、チームは2部で優勝し、1部に復帰した。1部に復帰した2004-05シーズン、ペランは出場数を増やし、チームも6位となる。この2004年以降、サンテチエンヌは2部に降格することなく、トップリーグの座を保っている。すなわち、ペランの歴史は1部リーグに定着したサンテチエンヌの歴史である。
 2007年にはジュリアン・サブレのRCランスへの移籍によって主将となり、これまでディフェンスの中心としてサンテチエンヌをプレーの面でも精神的にも支えてきた。そしてペランも34歳、今シーズン限りでの引退を表明している。当初はリーグ戦の最終戦で引退する予定であったが、このフランスカップ決勝が引退試合となるのである。(続く)

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