第1250回 リール、57年ぶりのリーグ制覇(3) パリとマルセイユで行われた第37節

 3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、救援活動、復旧活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■パリとマルセイユで同時にキックオフされる第37節

 第36節を終え、首位リールと2位マルセイユと勝ち点の差は6となった。リールが連敗、マルセイユが連勝すると両チームが勝ち点73で並び、得失点差の勝負となるが、残り2試合の段階で両チームの得失点差はリールが+31、マルセイユが+23と8点の差があり、リールは優勝をほぼ手中にしている。
 そして5月21日に行われた第37節は、すべての試合が21時キックオフとなり、リールはアウエーでパリサンジェルマン戦、マルセイユはホームでのバランシエンヌ戦となる。

■優勝をかけた一戦は1週間前のフランスカップ決勝の再現

 リールは5月14日に行われたばかりのフランスカップ決勝と同じ顔合わせとなる。本連載の読者であれば第1239回会で紹介した今年のリーグカップの決勝に進出したマルセイユとモンペリエ戦が、決勝戦の6日前にもリーグ戦で対戦したことをご存じであろう。リーグ戦とカップ戦の決勝戦が近接した日程で行われることはお隣のスペインのレアル・マドリッドとバルセロナが4月から4試合も対戦したように偶然のなせる業である。
 ただし、このリールとパリサンジェルマンの対戦がマルセイユとモンペリエのケースと異なる点がある。それはカップファイナルもリーグ戦も2試合とも実質的にパリサンジェルマンのホームゲームであるというところである。最初の対戦のフランスカップ決勝はパリ近郊のスタッド・ド・フランスで行われ、8万観衆のほとんどはパリサンジェルマンのファンであったが、試合終了間際にリールのルドビック・オブラニアックがゴールを決めて、地元ファンをがっかりさせたことは第1246回の本連載で紹介した通りである。カップ戦のスペシャリストと言われるパリサンジェルマンはカップファイナルではめっぽう強く、地元ファンをがっかりさせることはほとんどなかった。それだけに今回のフランスカップ決勝の敗戦はパリジャンにとって大きなショックだった。

■地元で相手の優勝をこれ以上見たくないパリジャン

 その敗戦からちょうど1週間経過した今度のリーグ戦での対決であるが、舞台はパリサンジェルマンの本拠地パルク・デ・プランスである。パリサンジェルマンは、1998年の自国でのワールドカップ開催のために作られたスタッド・ド・フランスに移転するという話はあったものの、クラブ設立から使用しているパリ市内南西部のパルク・デ・プランスから移転しなかった。そのパリサンジェルマンにとって真の本拠地であるパルク・デ・プランスで相手チームの優勝シーンは見たくないものである。
 パリサンジェルマンのファンにとって目の前で相手リールの優勝を見ないためには、パリサンジェルマンがリールに勝利することに加え、2位のマルセイユが勝利することも条件となる。パルク・デ・プランスに集まったファンはライバルのマルセイユの勝利を願うという複雑な状況に追い込まれたのである。

■八百長事件の相手を迎えるマルセイユ

 そのマルセイユは本拠地ベロドロームにバランシエンヌを迎える。マルセイユとバランシエンヌという組み合わせは舞台こそホームとアウエーで異なるが、1993年のシーズン終盤のあの事件と同じカードである。1992-93年のシーズン、チャンピオンズリーグ初優勝を目指すマルセイユは、同時にリーグ5連覇も目前にしていた。現在よりも日程の調整に配慮されていなかった時代であり、この時のマルセイユのように国内外のタイトルを狙うチームにとってはシーズン終盤の過密スケジュールが大きな課題となっていた。
 チャンピオンズリーグ決勝は1993年5月26日にミュンヘンのオリンピックスタジアムで宿敵ACミラン(イタリア)と争われることになっていた。マルセイユはその直前の20日にアウエーでバランシエンヌと対戦しなくてはならなかった。そのシーズンに昇格したばかりのバランシエンヌは下位に低迷し、降格圏にあった。順位が下位とはいえ、このバランシエンヌ戦に楽に勝利したいと考えたマルセイユはバランシエンヌの選手に八百長を持ちかける。結局この事件が発覚し、マルセイユはタイトル剥奪、2部に降格となってしまったわけである。その事件と同じ相手を迎えるマルセイユのファンも、目の前の相手に勝利するとともに、ライバルのパリサンジェルマンの勝利を祈ったのである。(続く)

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