第2286回 リーグカップ決勝はパリサンジェルマン-モナコ (2) モンペリエを下したモナコ

 7年前の東日本大震災、一昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■今月8試合目となるモナコとモンペリエ

 リーグカップの準決勝、1月30日に行われたレンヌ-パリサンジェルマン戦はパリサンジェルマンが3点を先行しながら、終盤に退場選手を出してからレンヌの追い上げを許したが、3-2と逃げ切った。レンヌはパリサンジェルマン相手の連敗を止めることができなかった。そしてその翌日の31日にはモナコ-モンペリエ戦が行われた。
 両チームとも1月はリーグ戦4試合、フランスカップ2試合、リーグカップ2試合を戦い1月で8試合目の試合となる。
 モナコはフランスカップの2試合目、すなわちベスト16決定戦でリヨンに敗れている。また、モナコはチャンピオンズリーグのグループリーグでも最下位に終わり、残されたタイトルは国内のリーグ戦とリーグカップだけである。前日に決勝進出を決めているパリサンジェルマンとは昨季以来タイトルを争っており、決勝での対決に向けて意欲満々である。

■昨年6月に亡くなったルイ・ニコラン会長にタイトルを捧げたいモンペリエ

 一方のモンペリエであるが、フランスカップでもベスト16入りを決めている。リーグ戦では一桁順位を保っているが、1月27日に行われたリーグ戦ではパリサンジェルマンに0-4と大敗を喫している。その雪辱をリーグカップ決勝で果たしたいところである。さらにモンペリエは今季タイトルを取りたい。それはこのクラブの会長を1974年以来務めてきたルイ・ニコランが昨年6月末に74歳で亡くなったからである。家業の清掃業を受け継いだニコランはフランスを代表するビジネスマンとして成功するとともに、1974年には当時まだアマチュアクラブであったモンペリエの会長となり、クラブを発展させる。就任後8年目で1部に昇格させた。1989年にはクラブの一人株主となり、1990年には初のタイトルであるフランスカップを獲得、そして記憶に新しい所では2012年にリーグを初制覇した。このクラブの栄光は名物会長であるニコランの存在抜きには考えられなかったであろう。また、ニコランが他のクラブの会長と異なるところは他のスポーツ、モンペリエ以外のクラブにも盛んに投資したことである。欧州チャンピオンにも待ったラグビーのベジエ、バスケットボールのパリ、ハンドボールのパリに出資した。さらにニコランは南仏の伝統的なスポーツであるジュートの協会会長にも就任している。74歳の誕生日に亡くなったニコランに対し、モンペリエのイレブンはニコランが生前手に入れることのできなかったタイトルのリーグカップを獲得しようとこちらもモチベーションは高い。

■リーグで2番目に失点の少ないモンペリエ

 対戦成績はモナコが圧倒的に有利で、過去20年間でモンペリエが勝利したのはわずか1試合、しかし、今季のリーグ戦では13日に対戦したばかりで、この時はスコアレスドロー、現在リーグで2番目に失点の少ないモンペリエの堅守の光った試合となった。しかし、アウエーでのモナコ戦、モンペリエは守備を固めて消極的な戦術をとったが、これが裏目に出た。

■守備的な戦術が裏目に出たモンペリエ、ラダメル・ファルカオが2ゴール

 わずか6000人の観衆しか集まらないルイ二世競技場の試合、先制点をあげたのはモナコであった。15分にジブリル・シディベからのクロスをラダメル・ファルカオが決めて、モナコがリードする。その直後にモナコのFWのステバン・ヨベティッチがモンペリエのGKと接触して倒れ、一旦はPKの判定が出たがビデオ判定の結果ノーファールでモナコは追加点のチャンスを逃す。しかし、29分にファルカオが29分にもクロスを無人のゴールに入れてリードを2-0と広げた。
 後半に入ってもモンペリエはこれといった攻撃のチャンスをつかむことができず、一矢報いることができなかった。
 2-0とモンペリエを下したモナコが3月31日にボルドーで行われる決勝に進出、パリサンジェルマンと優勝を争うことになったのである。(この項、終わり)

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