第36回 マルティニック、ゴールドカップで大健闘(3) ゴールドカップへの道

■ゴールドカップの予選にあたるカリブカップ

 前回紹介したマルティニックの英雄、ジェラール・ジャンビオンはフランス代表として40試合に出場しただけではなく、マルティニック代表としても2試合に出場している。これもマルティニックがFIFAに所属していないからなせる技であろう。FIFAに加盟していないマルティニックの至高の目標は北中米カリブ地域のタイトルであるゴールドカップである。マルティニックがゴールドカップに出場するためにはその予選にあたるカリブカップで好成績を収めなくてはならない。ジャンビオンがサン・ユベール・レイン・アドレイド監督を補佐するマルティニック代表がまずクリアしなくてはならないのがカリブカップである。
 マルティニックが1993年にゴールドカップに出場した際は、直前に行われたカリブカップで決勝に進出し、ジャマイカと戦い、延長を終わっても両チーム無得点、結局PK戦で5-6と惜敗したが、ゴールドカップへの出場権をつかんだのである。

■2001年カリブカップで3位、マイアミ行きの切符を獲得

 1993年のゴールドカップは最終ラウンドに8か国が出場、カリブカップの上位2チームに出場権が付与されたが、今回のゴールドカップには12か国が出場、2001年のカリブカップの上位3チームまでにゴールドカップへの出場権が与えられる。(カリブカップ4位のチームは中米諸国で争われるUNCAFネーションズカップの4位のチームとプレーオフ)
 2001年のカリブカップはカリブ海諸国25か国が参加し、2月に予備戦が始まった。マルティニックは4月の予選リーグから参戦し、グループ2でセント・ヴィンセント及びグレナディーン諸島、ケイマン諸島、英領バージン諸島を押さえて首位となり、5月にトリニダードトバゴで行われる最終ラウンドに進出した。予選を勝ち上がった6チームに加え、トリニダードトバゴ、ジャマイカを加えて行われる最終ラウンドは4チームずつのグループリーグから始まった。初戦でマルティニックはジャマイカと対戦し、両チームで退場1人、警告6人と荒れた試合を0-1と落としてしまう。続くバルバドス戦は3-1と勝ち、準決勝進出をかけて最終戦が行われた。最終戦の第1試合はトリニダードトバゴに敗れて1勝1敗のジャマイカが連敗して望みのないバルバドスと対戦、ジャマイカは難なく勝って、勝ち点6で得失点差は+1、マルティニックとトリニダードトバゴの試合結果を待つことになる。それぞれのチームが決勝トーナメントに進出するための条件は、マルティニックは勝つこと、トリニダードトバゴは大敗しないことである。試合は両チームの思惑通り運び、マルティニックが2-1と勝利し、トリニダードトバゴとともに準決勝に進出したのである。しかしながら、準決勝でマルティニックはハイチに0-5と大敗を喫する。ゴールドカップの出場権がかかる3位決定戦の相手はキューバ、この試合で終盤にマルセル・ギボンがPKを決めて、マルティニックはマイアミ行きの切符をつかんだのである。

■フランスからの3人の選手の召還とフランス協会からの財政支援

 さて、8年ぶりにゴールドカップに出場することになり、マルティニック協会としても力の入れ方が今までとは違ってきた。前々回の連載で紹介したとおり、1993年のゴールドカップでは優勝国のメキシコに0-9と大敗を喫している。この原因は選手がマルティニック島内のアマチュア選手だけであるという反省に基づき、アフリカのように欧州で活躍している選手を呼び戻してチームを編成することになった。
 その結果としてGKのエディ・ウルリー(トロワ)、MFのファブリス・ルーペルネ(レンヌ)という1部リーグ所属選手と3部リーグに相当するナショナルリーグのRCパリからDFのダビッド・ディカノを加えた3人が故郷のために所属クラブを離れ、ゴールドカップのために大西洋を渡ったのである。3人の選手の招聘だけではなく、マルティニックは選手団に規定の人数以上を派遣するため、財政的に苦しくなる。その結果、マルティニック協会は上部組織のフランス協会に30万フランの財政支援を申し入れる。ジャンビオンや3人の選手だけではなく、マルティニックは多くの選手を育成し、フランス本土に送り込んでいる、というのがその財政支援の要請の根拠である。
 結局、要請額の半分の15万フランしか支援を得ることができなかったが、支援を得たことは大きな進歩であった。そして、カリブの代表としてカリブ海を渡ることになったのである。(続く)

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