第164回 2つの国際親善試合(1) 反仏運動に揺れるコートジボワール、王者カメルーンを下す

■チェコ戦の前日と当日にフランス国内で国際親善試合

 スタッド・ド・フランスでのサッカーのフランス代表戦として最低の観客動員記録を更新し、チェコにいいところなく敗れたフランス代表。チェコに敗れただけではなく、1月にフランスを熱狂させたモータースポーツ、バスケットボール、ハンドボールという他の競技にも敗れてしまったと言えるであろう。このサッカー離れはフランスだけではなく他の欧州諸国も同様である。本連載の第158回でも取り上げたようにかつてサッカーに力を入れていた中東諸国がハンドボールなど他の競技に力を入れ始めた。
 ところが昨年のワールドカップを契機に開催した東アジア地域、そして出場国枠が広がったアフリカではサッカー人気は高まっているようである。また、昨今のイラク情勢をはじめとする世界各地での問題を考えると国際社会においてフランスがリーダーシップを取ることの重要性も増している。そのような状況の中で、フランス-チェコ戦と機を同じくしてフランス国内で国際試合が2試合行われた。
 チェコ戦の前日にフランス中西部のシャトールーで行われたのが、コートジボワールとカメルーンの試合である。コートジボワールはワールドカップにこそ出場していないが、日本の皆様はこの国がバジル・ボリの故郷であり、フィリップ・トルシエが代表監督としてのキャリアを始めた国であるということはよくご存知であろう。トルシエにとって第二の生誕の地とも言えるコートジボワールを数多くの日本人が聖地巡礼のごとく訪問しているようであるが、その聖地巡礼も昨年の秋からはストップした状況である。

■昨年9月から続くコートジボワールの混乱、ついに反仏運動に

 実はコートジボワールでは昨年9月19日に退役軍人が反乱を起こしたのがきっかけで、政府軍と反乱軍が武力衝突を起こし、内戦状態となったのである。政府側は旧宗主国であるフランスに武器の供与を求めたところから、フランスもこの内戦に巻き込まれることになった。フランス側も紛争終結のために努力を行い、1月下旬にパリ近郊に各勢力の代表を集めた会議を行い、和平案に合意した。ところが、この和平案はローラン・バグボ大統領を大統領が退陣し、新政府を樹立するという譲歩案であり、コートジボワールではバグボ大統領支持派の反発を招いたのである。フランスによる和平合意に反対する動きはとまらず、火の手は最高潮に達した。1月末には反仏デモの末、フランス大使館が放火されるという事態になった。フランス政府は在留仏人の国外脱出のためにチャーター機を送り込む。1万数千人とも言われるフランス国内への退避するフランス人のうちの1人が代表チームのロベール・ヌザレ監督であった。

■フランス人監督ロベール・ヌザレとリベンジを期すビンフリート・シェーファー

 ヌザレ監督はフランスのクラブチームで豊富な経験を誇り、以前も「象」という愛称のあるコートジボワール代表監督を務めたこともある。昨シーズンはかつてガンバ大阪を率いたフレデリック・アンドレッティの後任としてバスティアの指揮をとっていた。昨年7月にコートジボワールの代表監督に就任し、来年チュニジアで開催されるアフリカ選手権予選突破を目指している。そのフランス人監督が率いるコートジボワールがフランス中西部のシャトールーで昨年のアフリカ選手権の覇者であるカメルーンと対戦した。
 一方のカメルーンも昨年行われたアフリカ選手権の覇者である。昨年のワールドカップでは日本でグループリーグを戦い、圧倒的な人気を集めたが、欧州勢の後塵を拝し、早々に日本を去っている。次の目標はアフリカ選手権連覇であり、ワールドカップでもチームを率いたビンフリート・シェーファー監督はリベンジに燃えている。ドイツ人監督が率いる「不屈のライオン」であるが、もちろん旧宗主国であるフランスとのつながりは深い。

■コートジボワール、カメルーンに完勝する

 シャトールーのガストン・プチ競技場には3000人のファンが集まった。内戦でサッカーどころではないコートジボワールを応援する気持ち、そしてフランスによる和平合意に反発して反仏運動を起こしたコートジボワールに対する反感、寒空の中集まったフランス人観衆はいずれも複雑な思いでこの試合を見たことであろう。
 しかし、ピッチの上ではそのような同情心、政治的反感を忘れさせるような試合が繰り広げられた。サッカーが平和な土地でできる喜びをコートジボワールのイレブンは見せ、アフリカを代表する強豪チームであるカメルーンを3-0と圧倒したのである。
 見事勝利をあげたヌザレ監督は凱旋するのではなく、治安上の問題から引き続きフランスに滞在する予定である。この試合がコートジボワールの平和、そしてコートジボワールにおける反仏運動の沈静化にどれだけ貢献するかはわからない。しかしながらこの試合を見守った3000人のフランス人は間違いなく反戦の誓いを立てたであろう。(続く)

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