第258回 宿敵ドイツと対戦(4) 4つのドイツと互角の戦績

■輝かしい実績を誇るドイツ

 昨年のワールドカップで準優勝したドイツ代表はこれまでに輝かしい栄光の歴史を誇っている。西ドイツ時代を含めると、ワールドカップ優勝は3回、準優勝が4回、そして本大会出場は第2回大会以来欠かすことなく常連で強豪である。一方、欧州選手権も3回の優勝、2回の準優勝を飾っており、この両大会のほぼ半分の大会で決勝に進出すると言う素晴らしい成績を残している。
 この強豪ドイツとのフランスの過去の戦績を振り返ってみると実に興味深いことがわかる。ドイツとの対戦成績と言っても正確には4つに分かれる。まずは第二次世界大戦までのドイツとの対戦。そして第二次世界大戦後の東西に分裂した東ドイツ、西ドイツとの対戦、最後に1990年に東西ドイツが統合してからの新生ドイツとの対戦である。

■初対決の舞台となったコロンブ競技場で起こった悲劇

 最初にフランスがドイツと対戦したのは1931年3月15日のことである。フランスが1904年に最初の国際試合を行っていることを考慮すれば、1931年と言うのは遅すぎる初対戦と言えよう。やはり当時はサッカーの国際試合は政治的、経済的につながりのある両国が外交の手段として親善試合を行っており、1914年から1918年までの激戦の記憶の残るドイツとの対戦は避けられていたのであろう。ちょうどアドルフ・ヒトラーが台頭してきたころの1931年の初対決はコロンブ競技場で行われ、フランスがドイツを1-0と下している。フランスとドイツはその後1937年まで2年おきに対戦し、フランスの1勝1分2敗となったところで欧州は戦火につつまれる。1939年9月3日にフランスはドイツに宣戦布告したが、開戦直後、パリ在住のドイツ人がコロンブ競技場に「敵国人」として収容された逸話については「フランス・サッカー実存主義」の第41回で紹介しているので、是非ともご参照されたい。ドイツ人の中にはナチス・ドイツからの迫害を逃れて亡命してきた者も多く、フランスとドイツが初めて対戦したコロンブ競技場に、2万人の亡命者を含むドイツ人が収容されたと言う暗い過去から目をそらしてはならないだろう。

■西ドイツには勝ち越し、東ドイツには負け越し

 欧州と世界に平和が訪れた後、フランスがライン川を越えて戦う相手はドイツではなく、西側陣営の西ドイツと東側陣営の東ドイツに分かれていた。西ドイツとの初対戦は1952年10月5日、舞台は再びコロンブである。フランスのイレブンのうち5人が初代表というフレッシュなメンバー、そしてその5人の中の1人にはレイモン・コパの名前もある。第二次世界大戦の記憶も生々しい中で行われた初対決はフランスがドイツを3-1と一蹴する。以来、フランスと西ドイツはワールドカップ本大会での3度の対戦を含んで15回対戦し、フランスは6勝4分5敗と勝ち越している。
 一方、東ドイツとはベルリンの壁が災いしたのか、なかなか対戦の機会がなく、ワールドカップ、欧州選手権の予選で立て続けに対戦する。最初の対戦は1976年欧州選手権予選である。1974年11月16日にパルク・デ・プランスで対戦し2-2の引き分けに終わる。1975年10月12日にはライプチヒで対戦するが、東ドイツに1-2と敗れ、フランスは本大会出場を逃す。次の対戦は1986年ワールドカップ予選で1勝1敗となったが、フランスは本大会に出場、本大会では3位となる。そして1988年欧州選手権予選でも同じグループに入り、フランスは1分1敗で西ドイツ行きを逃してしまう。なお、フランスと東ドイツの親善試合は1990年新春のクウェートでの三国対抗で対戦しただけであり、通算の対戦成績はフランスの2勝2分3敗である。

■統合後の新生ドイツには2連勝

 1989年11月のベルリンの壁が崩壊し、1990年10月に統一した後のドイツとフランスは2回親善試合で対戦している。イングランドでの欧州選手権の直前の1996年6月1日にシュツットガルトで対戦し、フランスは1月後に欧州の王座につくドイツを1-0と破っている。また、2001年2月27日にはドイツにとっていい思い出のないスタッド・ド・フランスでドイツを1-0と下し、新生ドイツとは2戦2勝である。
 この結果、フランスと4つのドイツの通算成績は11勝7分11敗と互角の成績である。さらに注目すべきことにホームでは両国とも圧倒的な強さを誇り、フランスがホームで敗れたのは2回だけ(1935年のドイツ戦、1987年の東ドイツ戦)、そしてフランスがアウエーで勝ったのも2回だけ(1954年の西ドイツ戦、1996年のドイツ戦)である。両国の通算成績が拮抗しながら、ホームでは絶対負けない、というのは両国の激しいライバル心の表れであろう。(続く)

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