第355回 フランス代表監督の交代(2) レイモン・ドメネク新監督の横顔

■直前まで争ったジャン・ティガナとローラン・ブラン

 欧州選手権前に大会終了後のトットナム・ホットスパーズ入りを表明したジャック・サンティーニ監督の後任選びはようやく7月12日のレイモン・ドメネク新監督の誕生により、決着を見た。
 従来、協会スタッフから代表監督に就任するケースが続いてきたが、クラブチームのリヨンの監督から代表監督に就任したジャック・サンティーニ監督の実績を勘案し、ブルーノ・メツ、ジャン・ティガナ、ローラン・ブラン、イングランドのグレン・ホドルなど多くの候補が挙げられた。フランスサッカー協会のクロード・シモーネ会長が支持したのはブラン、そしてミッシェル・プラティニ副会長はティガナを推し、監督争いはこの2人が有力と見られた。ティガナはモナコやイングランドのフラムで監督経験があり、今春の段階でフラムの監督を解任されることが決まっていた。しかし、モナコでは優勝経験があると共に、フラムでは多国籍の選手を束ね、混成チームである代表チームをマネジメントする能力も高いと言われる。一方、今シーズン限りで現役を引退することが決まっているブランは監督経験はもちろん皆無である。しかし、監督経験がなくとも代表監督でそれなりの成果を残したプラティニ、フランス国内のクラブでもモナコのディディエ・デシャン、リヨンのポール・ルグアンなど若手の監督が素晴らしい実績を残している。したがって、監督経験がないことが決定的な問題にはならないわけである。

■リヨンを1部昇格させたレイモン・ドメネク

 1980年代のフランスサッカーを支えたティガナと1990年代のフランスサッカーを支えたブランというスター選手の一騎打ちと見られたが、決定直前に名乗りを上げた男がいた。それが23歳以下フランス代表のドメネク監督である。
 本連載でもしばしばアンダーエイジのフランス代表について取り上げてきたが、フル代表に最も近いオリンピック代表に相当するチームを長年受け持ってきたのがこのドメネクである。ドメネクはティガナ、ブランと言った名手には及ばないものの、自身もフランス代表として8試合に出場している。リヨン、ストラスブール、パリサンジェルマン、ボルドーに所属し、現役最後の1983-84シーズンにはフランスリーグを制覇している。ボルドーはドメネクの引退直後の1985年初めに訪日しており、日本のファンの前にその勇姿を見せることができなかったのが残念である。引退後はミュールーズの監督を4シーズン務め、1988年にはまだ2部にとどまっていたリヨンの監督となる。リヨンでの監督初年には2部リーグで優勝し、リヨンを1部に昇格させる。その後リヨンは1部でも安定した成績を残し、近年はフランスリーグで3連覇をしているが、その最初の一歩を築いたのはドメネクの手腕によるところが大きいと言えるであろう。

■11年間にわたる「エスポワール監督」

 そして、ドメネクはリヨンで5シーズン監督を務めた後、エスポワール(フランス語で「希望」と言う意味)と呼ばれる23歳以下フランス代表の監督となる。そしてそれまで国際舞台で活躍することができなかったアンダーエイジのフランス代表を世界の舞台へ飛躍させる。1994年、1996年と23歳以下の欧州選手権で準決勝に進出し、1996年には優勝した1984年以来久しぶりにオリンピックに出場する。アトランタオリンピックではベスト8どまりであった。若手育成に定評のあるフランス代表であるが、実はアンダーエイジでの戦績はそれほどいいわけではない。

■現在のフランス代表選手を熟知

 しかしながら、これらの大会に出場した選手の多くが以降フランス代表として活躍している。現在のフランス代表選手のほとんどがフル代表入りする前に「エスポワール」入りしており、ドメネクは彼らのプレーを熟知している。フル代表の選手の多くが国外のクラブに所属しており、フランス代表がフランスらしさを取り戻せないまま、敗退してしまった今回の欧州選手権であるが、彼らが国内のクラブに所属していたころに指導を受けていたのがドメネクである。2002年ワールドカップ(グループリーグ敗退)、2004年欧州選手権(ベスト8)という結果を受けてドメネクは2006年ワールドカップの目標をベスト4に掲げている。注目の初陣は8月18日、ホームでのボスニア・ヘルツェゴビナ戦である。(続く)

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