第468回 再起をかけたコートジボワール戦(1) ジネディーヌ・ジダンの代表復帰

■8月3日にジダンが復帰宣言

 ジネディーヌ・ジダンがフランス代表に復帰、このビッグニュースが飛び込んできたのは8月3日のことであった。優勝国のギリシャに敗れベスト8にとどまった昨年の欧州選手権の終了後、レイモン・ドメネク新監督が就任したが、ジダン不在のフランス代表の不振については本連載で紹介してきたとおりである。ファンからはジダン待望論が試合のたびに沸き起こってきたが、まさかジダンが復帰宣言をするとは思っていなかった。
 フランス代表はワールドカップ予選でこれまで2勝4分、アイルランド、スイス、イスラエルについでグループ4位である。アイルランド、イスラエルに比べて1試合少なく、ライバルのアイルランド、スイス、イスラエルの中から突出したチームがいないために、トップとの勝ち点の差は3でとどまっているが、フランスの地力を考えてみれば、不本意な成績であることに間違いはない。9月に入れば3日にフェロー諸島とホームで対戦した後、7日にはダブリンでアイルランド戦が待っている。アイルランド戦で勝利以外の結果となれば、上手くいってもプレーオフ経由でのワールドカップ出場への道となる。

■代表復帰を決心させた3つの理由

 このような難敵とのアウエーでの対戦を控え、ファンの不安はますます増大するばかりであった。そのファンにとっては天佑のような知らせがジダンの復帰宣言であった。ジダンが代表への復帰を決心した背景にはいくつかの要因がある。まずはこの2年ほどレアル・マドリッドでは思うような成績を残すことができなかったことがあげられる。銀河系集団といわれる豪華メンバーの中でジダンはその中心となることができないばかりか、その本来の姿とは程遠い動きしかできなかった。このクラブでのフラストレーションが別のチーム、すなわち代表チームへの憧憬となったと考えられる。第2点としてレイモン・ドメネク監督がジダン復帰のために2度もマドリッドを訪問している。代表監督直々の依頼を受けてジダンも心が揺れ動かないわけがない。
 そして何よりも復帰の決め手となったのは、ジダンの代表チームを救いたいという思いである。ジダンは自分の抜けた代表チームをこれまでに2度見ている。2度目とは言うまでもなくこの1年間である。そして、最初は2002年のワールドカップのセネガル戦とウルグアイ戦である。ワールドカップ開幕を控えた韓国との親善試合でジダンは負傷し、開幕戦を欠場する。相手はアフリカから初出場を果たしたセネガル。ジダンがいなくても勝てると誰もが確信していた相手であったが、まさかの敗戦。そして続く第2戦のウルグアイ戦もジダン抜きで戦い、得点をあげることができずスコアレスドロー、ついにグループリーグ最終戦でジダンを復帰させたものの、時すでに遅く0-2とデンマークに完敗し、傷心の帰国となった。責任感の強いジダンにとってこの韓国での敗退は今なお深い心の傷となっているのである。

■苦悩の末の引退宣言と復帰宣言

 思い返せば、昨年ジダンが代表からの引退を表明したのも苦悩した末のことであった。6月末に欧州選手権で敗退し、同年代のチームメイトのマルセル・デサイー、リリアン・テュラムが大会後すぐに引退を表明し、ビシャンテ・リザラズも8月の初めに引退を発表している。ジダンが代表から退くことを表明したのは新チームのメンバー発表となるボスニア・ヘルツェゴビナ戦の1週間前の8月12日のことであった。悩みに悩んだ末での代表からの引退表明であった。

■リリアン・テュラムとクロード・マケレレも復帰

 そのジダンがまた悩みに悩んだ末に代表に復帰した。2年前のデンマーク戦での復帰は、苦いものとなった。ジダンの復帰がリスクを伴わないものではない。しかし、今回の復帰にはジダンにとって心強い仲間がついている。昨年ジダンよりも早く代表からの引退を表明し、ジダンの引退に影響を与えたテュラム、さらにジダンとレアル・マドリッドでコンビを組み、昨年9月のイスラエル戦を最後に代表から離れていたクロード・マケレレという2人がジダンの代表カムバックと合わせて代表に復帰してきたのである。ジダンとその仲間たちの復活は8月17日、モンペリエでのコートジボワール戦である。(続く)

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