第1812回 2015年アフリカ選手権 (6) 優勝目指すフランス人のアフリカのスペシャリスト達

 このたびパリ並びにパリ近郊で起こった銃撃事件の犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、サッカー界での人種差別についてしばしば取り上げている本連載に対する読者の皆様からのご支援に感謝いたします。

■16か国中13か国が外国人監督

 前々回と前回の本連載で決勝トーナメント進出チームをご紹介した。決勝トーナメントの準々決勝の組み合わせはコンゴ共和国(グループA1位)-コンゴ民主共和国(グループB2位)、コートジボワール(グループD1位)-アルジェリア(グループC2位)、ガーナ(グループC1位)-ギニア(グループD2位)、チュニジア(グループB1位)-赤道ギニア(グループA2位)となった。
 さて、アフリカ選手権の特徴として毎回話題になるのが外国人監督である。もともと宗主国があることに加え、アフリカ人指導者が少ないことも重なり、多くのチームが外国人監督である。今回出場している16か国のうち、自国人の監督を擁する国はわずか3か国である。ザンビアのホナー・ジャンザ、南アフリカのエフレイム・マシャバ、そしてコンゴ民主共和国のフローラン・イバンジェの3人だけが自国人の監督であり、残り13人は外国人、もっと正確に言うならばアフリカ大陸以外の欧州あるいは南米からの監督がチームを率いている。2年前の前回大会は16か国中9か国が外国人の監督であり、大きく変わった点であると言えよう。

■アフリカで延べ7か国めの監督となるコンゴ共和国のクロード・ルロワ

 毎回本連載で取り上げるフランス人監督、今回は6人である。コンゴ共和国のクロード・ルロワ、コートジボワールのエルベ・ルナール、アルジェリアのクリスチャン・グルクフ、ギニアのミッシェル・デュスイエ、セネガルのアラン・ジレス、マリのヘンリク・カスペルチャックというメンバーである。
 今回はそのうち20世紀からアフリカでの監督経験のあるルロワ、ルナール、カスペルチャックについて紹介しよう。
 この中でアフリカの代表チームの監督として最も経験が豊富なのはルロワであり、本連載にもしばしば登場している。1985年にカメルーンの監督となってから、セネガル、カメルーン、コンゴ民主共和国、ガーナ、コンゴ民主共和国、そして2013年末に就任した今回のコンゴ共和国で延べ7か国めのアフリカでの代表監督である。前回大会はコンゴ民主共和国の監督を務めており、今回はルロワにとって最初のアフリカでの監督時代の1988年大会でカメルーンを率いて以来2度目の優勝を狙っている。

■ルロワの片腕だったコートジボワールのエルベ・ルナール

 豊富なアフリカ経験を持つルロワは自らの片腕となるフランス人コーチを育ててきた。コートジボワールのルナールもそのうちの1人である。昨年のワールドカップはサブリ・ラムシが率いたが、ワールドカップ後にルナールが監督に就任している。ルナールは2002年にルロワが監督を務めていた上海のコーチに就任、その後フランスに戻ったこともあったが、2007年にルロワがガーナの監督になるとコーチとしてアフリカに渡る。2008年にザンビアの監督となり、2010年尾アフリカ選手権で準々決勝進出という実績を残す。2012年大会では優勝を果たした。2013年秋には1部のソショーに戻り、1シーズンだけ監督を務めた。そして昨年夏からコートジボワールの監督となっている。

■ポーランド出身のマリのヘンリク・カスペルチャック

 またカスペルチャックはポーランド代表として活躍したが、1978年のワールドカップアルゼンチン大会を最後に代表から引退、そして選手生活最後の1年をフランスのメッスで過ごす。ここからカスペルチャックの人生は変わった。引退後メッスの監督に就任、その後多くのフランスのクラブでの監督を務め、フランス国籍を取得するに至った。1993年にコートジボワール代表監督となり始めてアフリカの地を踏む。翌年の1994年のアフリカ選手権では3位に入る。その次の1996年大会ではチュニジアの監督として準優勝、秋には訪日している。その後、マリ、セネガルの監督としてアフリカ選手権に出場したが満足な成績を残すことができず、2013年に就任したチュニジアの監督として優勝を狙うのである。(続く)

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