第2646回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (4) 最終戦までに準備した4つの親善試合

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■アイルランド戦の次のブルガリア戦までの間隔は8か月

 1977年3月30日にアイルランドにアウエーで0-1と敗れ、アルゼンチン行きを目指すワールドカップ予選でフランスは1勝1分1敗、勝ち点3(当時は勝利の勝ち点が2)となった。この時点のグループ5の順位はフランスが首位、2位は勝ち点2のアイルランド、3位は勝ち点1のブルガリアであったが、フランスは試合消化数が3であるのに対し、アイルランドは2試合、ブルガリアは1試合であった。アルバニアが棄権したこともあり、変則的なスケジュールとなり、フランスの次の試合は11月16日のホームでのブルガリア戦、グループ5全体の最後の試合となる。次の予選の試合まで8か月間も空くというのは現在ではちょっと考えられない。

■アイルランドが脱落、ブルガリアと直接対決へ

 そしてその8か月の間にブルガリアとアイルランドはダブリンとソフィアでそれぞれ試合を行う。いずれかのチームが最終戦前にフランスと少なくとも勝ち点で並ぶ。一方、フランスもこの8か月の間に親善試合を4試合行ってブルガリアを迎え撃つ。
 まずは気になるライバルの戦いであるが、6月1日にソフィアで行われた試合ではホームのブルガリアが2-1と勝利する。この時点で首位は勝ち点3のフランス(3試合消化)とブルガリア(2試合消化)がならび、アイルランドは3試合消化して勝ち点2である。
 10月12日にはダブリンでアイルランドはブルガリアを迎える。アイルランドが勝利すれば勝ち点を4に伸ばし、単独首位となり、勝ち点3で並ぶフランスとブルガリアの最終戦の結果を待つことになる。一方、ブルガリアは勝利すれば、フランスに勝ち点2の差をつけ、最終戦のフランス戦で敗れても得失点差の勝負となる。ブルガリアが引き分けた場合は、最終戦のフランス戦で引き分け以上ならワールドカップ出場となる。ダブリンでのこの試合は結局スコアレスドローとなり、アイルランドが脱落し、パリでの最終戦でアルゼンチン行きのチケットの持ち主が決まることとなった。

■最終戦までに4試合の親善試合で準備

 ブルガリアとの直接対決に臨むフランスであるが、ミッシェル・イダルゴ監督はブルガリア戦までの4試合でチームを進化させる。フランスがこの8か月間に行ったのは4月にジュネーブでスイス戦、6月に南米遠征を行い、アルゼンチンとブラジルと対戦する。そして10月にはパリにソ連を迎える。

■若手だけで臨んだアウエーのスイス戦で大勝

 まずはスイス戦、この試合も前回紹介した西ドイツ戦、アイルランド戦同様に代表経験の浅いメンバーで戦う。最多代表経験はジェラール・ジャンビオンとミッシェル・プラティニが並ぶが、2人ともこの試合が代表8試合目となる。マリウス・トレゾール不在のため、主将はリベロのクリスチャン・ロペスが務める。ブルーノ・バロンチェリをデビューさせたほか、アイルランド戦で代表デビューとなったティエリー・トゥソー、西ドイツ戦で代表デビューしたアンドレ・レイ、オマール・サヌーン、ルーマニア戦で久しぶりに復活したアラン・ジレスを継続して起用した。サヌーンは仏領時代のアルジェリア生まれの選手であり、ナントの一員として活躍したが、もともと心臓に病があり、この年の暮れに心臓発作を起こし、ワールドカップのメンバーから外れ、さらに1980年には24歳の若さで急逝している。悲劇の選手であるが息子のニコラも後にプロサッカー選手となっている。
 このようにベテラン抜きで戦い、フランスはプラティニが前半の32分にFKを直接決めて先制する。そして後半には終盤の73分にサヌーンからのクロスをディディエ・シスが追加点を決め、87分にはプラティニのパスをゴール前にいたドミニク・ロシュトーが決めて3点目、さらに89分にはシスのパスをゴール前のオリビエ・ルイエが決めて4-0と圧勝する。
 この日得点を決めたプラティニは代表8試合目、シスとロシュトーは7試合目、ルイエは5試合目、イダルゴが発掘した選手がフランスを復活へと導くのである。(続く)

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