第3601回 パリサンジェルマン、UEFAスーパーカップを制す(2) 新加入のルカ・シュバリエ、PK戦で活躍

 平成23年東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨、令和6年能登半島地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■初めて強豪国での開催となるウディーネのウリウーリ競技場

 パリサンジェルマンにとって29年ぶり2度目の出場となるUEFAスーパーカップ、前回はホームアンドアウエー方式でイタリアのユベントスと対戦したが、今回は1回戦方式、舞台はイタリアのウディーネである。2013年大会からはモナコを離れ、欧州内の各都市で行われてきたこのタイトルであるが、初めて欧州の五大リーグのある国で開催されることになった。会場となるウディーネのウリウーリ競技場、1990年のワールドカップでは韓国が試合を行い、1993年には鹿島アントラーズが試合を行ったことから、日本の皆様はよくご存じのスタジアムであろう。当時はワールドカップ仕様の4万人を収容する競技場であったが、2015年に改装し、2万5000人収容のコンパクトなスタジアムになっている。収容人数が少なく、サッカー強豪国のこのスタジアムが選ばれた理由は改装した際に環境に配意したことが評価されたからである。

■UEFAスーパーカップに初出場となるトットナム・ホットスパー

 パリサンジェルマンの相手はヨーロッパリーグの優勝チームのトットナム・ホットスパー(イングランド)である。ヨーロッパリーグの決勝ではマンチェスター・ユナイテッドとのイングランド勢対決を1-0で制した。トットナム・ホットスパーはこれまでに欧州のタイトルは1962-63シーズンのカップウィナーズカップ、1971-72シーズンと1983-84シーズンのUEFAカップを獲得しているが、UEFAスーパーカップには初出場である。そしてパリサンジェルマンとは公式戦ではいまだ対戦したことがない。
 レギュラーシーズン終了後もフランスカップ決勝、チャンピオンズリーグ決勝、クラブワールドカップと気の抜けない試合が続き、6月の初めには代表戦が行われ、過去に前例のない過密なシーズンオフを送ったパリサンジェルマン、フロントも多忙だったのか、今季の目立った補強はGKのルカ・シュバリエをリールから獲得したくらいである。
 そのシュバリエが先発GKとなり、フィールドプレーヤとしてはDFは右からアクラフ・ハキミ、マルキーニョス、ウィリアン・パチョ、ヌーノ・メンデス、MFは右からウォーレン・ザイール・エメリ、ビティーニャ、デジレ・ドゥエ、FWは中央にウスマン・デンベレ、右にブラッドリー・バルコラ、左にクビチャ・クバラツヘリアと昨年の栄光を支えたメンバーがそろった。

■2点差を追いついたパリサンジェルマン、PK戦を制す

 このUEFAスーパーカップ用の紺色のユニフォームのパリサンジェルマンは立ち上がりから試合を支配する。ボール支配率は6割を超えたが、パリサンジェルマンはなかなかシュートチャンスを作ることができない。最初の得点チャンスはトットナム・ホットスパーであった。23分にカウンターアタックから抜け出したリシャルリソンがシュート、これをシュバリエが右手でセーブし、トットナム・ホットスパーの得点を許さない。パリサンジェルマンの一方的ない試合になったが、シュート数ではトットナム・ホットスパーが上回り、先制点は39分、ミッキー・ファン・デ・ヘンが決める。
 トットナム・ホットスパーは、後半に入っても立ち上がりにFKから主将のクリスティアン・ロメロがヘディングで追加点、リードを2点に広げる。
 パリサンジェルマンは前半同様ボールを支配し、積極的にシュートを放つようになる。ようやくパリサンジェルマンがゴールをあげたのは85分、交代出場の李康成が1点を返す。さらに後半アディショナルタイムの94分にゴンサロ・ラモスのゴールで追いつき、試合はそのまま終了し、PK戦となる。
 PK戦はトットナム・ホットスパーが先蹴、パリサンジェルマンは後蹴だが、ビティーニャのキックはゴールから外れる。先行されたパリサンジェルマンであるが、シュバリエが3人目のファン・デ・ヘンのシュートをブロックする。トットナム・ホットスパーの4人目はフランス人のマティス・テル、テルのシュートに対し、シュバリエが逆に飛んだが、シュートが外れる。これ以外の選手はみな成功させ、パリサンジェルマンの5人目のヌーノ・メンデスのシュートが決まり、パリサンジェルマンの優勝が決まったのである。(この項、終わり)

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