第154回 聖地コロンブ競技場、新たなスタート

■オリンピックのメイン会場、ワールドカップの決勝の舞台

 本連載はたくさんの読者の方に支えられているが、リンク集にある「サッカークリック」や「スポーツナビ」に連載したコラムに目を通していただいている方も少なくない。「サッカークリック」の第2回の連載および連載1周年を記念した第41回の連載で取り上げた「コロンブ競技場」について今回は取り上げたい。
 すでにご存知の方も多いと思うが、1922年に誕生したコロンブ競技場は1924年のパリ・オリンピックのメイン会場となり、1938年の第3回ワールドカップでも決勝戦が行われたフランスを代表するスタジアムであった。1972年にパリのパルク・デ・プランスが球技場として改装されてからはフランス代表の試合を行うこともなく、さびれてしまったことは前述のコラムで紹介したとおりである。

■ラシン・クラブ・ド・フランスの伝説の名選手イブ・ド・マノワール

 フランス代表のサッカーの試合からは遠ざかってしまったが、コロンブ競技場はイブ・ド・マノワール競技場と称され、ラグビーの名門チームであるラシン・クラブ・ド・フランスが所有し、ホームスタジアムとして脈々と活動を続けてきた。ラシン・クラブ・ド・フランスは1892年に設立され、同年に始まったラグビーのフランス選手権で優勝している古豪チームである。水色と白の縞のユニフォームはかつてピエール・リトバルスキーが所属したラシン・パリ、市川大祐が練習を行っているストラスブールのラシン、アルゼンチンの名門ラシンなどサッカーの世界でもラシンという名のつくチームに受け継がれている。
 この名門チームの中において伝説の天才プレーヤーと称されているのがイブ・ド・マノワールである。スタンドオフとしてフランス代表としても活躍したマノワールであるが、23歳の若さで1928年に飛行機事故で夭折してしまった。このマノワールを記念し、スタジアムにマノワールの名前を冠し、そしてラシン・クラブ・ド・フランスはイブ・ド・マノワール・トーナメントという大会を主催し、決勝をこの競技場で行ってきたのである。このイブ・ド・マノワール・トーナメントはフランスにおいてフランス選手権に次ぐ権威のある大会であり、吉田義人、村田亙などフランスのプロチームに所属した日本人選手が出場したこともあるので、日本の読者の皆様もよくご存知であろう。

■数多くのラグビー、サッカーの国際試合

 また、このコロンブ競技場はラグビーでは1922年から1975年までフランス代表のホームスタジアムとして活躍し、100試合以上の国際試合が行われている。最後に行われた国際試合は1975年のイングランド戦、フランスが37-12という歴史的大差でラグビーの母国を破っている。
 一方、サッカーの世界においても50年間近く聖地であった。サッカーの世界では1925年から1971年にかけてフランスカップの決勝が行われた。また、フランス代表の国際試合については1922年のベルギー戦に始まり1975年のポルトガル戦まで81試合行われている。1960年12月のブルガリア戦で勝ったのを最後に、7試合連続勝ち星に恵まれず、最後の5試合は5連敗とラグビーとは対照的な成績でフランス代表はこのスタジアムを去ることになった。スタッド・ド・フランスが完成した直後、サッカーのフランス代表は連戦連勝でワールドカップを制覇したのに対し、ラグビーのフランス代表は連戦連敗でなかなか思うような成績を残すことができなかったこと考えてみれば非常に興味深いことである。

■改修のためにオー・ド・セーヌ県に売却、2012年のオリンピックを招致

 ラシン・クラブ・ド・フランスは名門クラブであり、ラグビー以外にもサッカーのチームもあったが、サッカーチームが1960年代に起こったフランスサッカーのプロ化の波に乗らなかったことも、施設の改修にかける資金の投入を妨げることになり、廃墟のようなスタジアムになってしまったのである。
 そのコロンブ競技場は、このたび老朽化の費用負担に耐えられず、所有者のラシン・クラブ・ド・フランスは個の伝統ある競技場をオー・ド・セーヌ県に売却したのである。テーマパークにする構想もあったが、地方自治体に売却することにより、この伝統ある「スポーツの殿堂」の歴史を守っていくことになったのである。県が公的資金をスタジアムの改修に投入し、元の所有者であるラシン・クラブ・ド・フランスは少年ラグビーや少年サッカーの教室を継続することができるのである。
 さて、このコロンブ競技場、改修後に2012年のパリ・オリンピックを目指すという構想もある。2008年のオリンピック招致に関してはパリも立候補し、大阪同様残念な結果となったが、2012年のオリンピックに再挑戦する動きがある。もしも2度目のオリンピックをコロンブが迎えるならば、実に88年ぶりに2度目のオリンピックを迎えるという歴史的な快挙となるのである。(この項、終わり)

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