第219回 100周年を迎えたツール・ド・フランス(2) サッカーに先行して普及した自転車競技

■「フランス一周」という名のレースの創設

 前回の本連載では今年のツール・ド・フランスのコース設定を紹介したが、このコース設定は100年前のコースに非常に近いことを紹介した。今年は全長3427キロメートルを20ステージにわけ、23日間にわたって争われるが、100年前は2420キロメートルを6ステージにわけ、19日間にわたって争われた。
 フランスには100年以上前から自転車レースが存在し、1891年から1901年まではケーキの名前にもなっているパリ-ブレスト間往復レースが行われ、1902年にはパリ-マルセイユ間自転車レースが行われたが、1903年に自転車専門紙で現在のレキップ紙の前身であるロート紙の編集長のアンリ・デグランジュの発案によってフランスを一周する自転車レースが創設された。ツール・ド・フランスとは「フランス一周」という意味であり、これ以上のネーミングはなかったであろう。

■主要6都市を結んだ第1回ツール・ド・フランス

 注目すべきは第1回の6ステージの都市である。第1ステージはパリ-リヨン、第2ステージはリヨン-マルセイユ、第3ステージはマルセイユ-トゥールーズ、第4ステージはトゥールーズ-ボルドー、第5ステージはボルドー-ナント、そして最終の第6ステージはナント-パリであり、6都市を結んでフランスを一周している。この6都市にはサッカーの世界でも有力なチームがあり、100年前から政治・経済だけではなく文化の中心でもあり、そのような都市に有力なサッカーチームが生まれ育ってきたことを意味している。
 そしてこの第1回のツール・ド・フランスのゴールはパルク・デ・プランスである。当時パルク・デ・プランスは自転車競技場であり、パリのゴールにふさわしいスポットであった。1998年のワールドカップでも主要会場となったマルセイユのスタッド・ベロドロームも「自転車競技場」という意味であり、自転車用に作られたインフラがその後サッカーなどの球技に使われている。この流れを見てもフランスにおいて自転車はサッカーに先行して普及していたことがご理解できよう。

■FIFA創立の前年に始まった国際的イベント

 この記念すべき大会に出場した選手は60選手。この中にはスイス、ドイツ、ベルギーなどフランス以外の国からの選手もおり、第1回からすでに国外に門戸を広げていたのである。1903年7月1日、パリのモンジェロンを出発する60人の選手によってツール・ド・フランスの世紀が始まったのである。1903年といえばFIFAの設立する前年であり、フランスがベルギーと最初の国際試合を行う前年である。サッカーの世界ではまだ国を越えた交流のなかったこの年に国外の選手を含めてこのようなスポーツイベントを開催したデグランジュの慧眼には恐れ入るばかりであり、フランスのスポーツにおける自転車の地位を確立する契機となったのである。もしツール・ド・フランスの開催が1年遅く、サッカーの国際化の後塵を拝していたならば、フランスにおけるナンバーワンスポーツは自転車ではなくサッカーとなり、サッカーの世界でフランスはもっと早く世界の頂点に立っていたであろう。
 日本において野球の存在がサッカーの普及・強化の大きな壁となったのと同様、フランスにおいても自転車がサッカーの普及・強化の妨げとなっていることは事実であり、その点ではサッカーがナンバーワンスポーツではないフランスから代表監督を招聘した理由が理解できる。

■ツール・ド・フランスのためにあるフランスの7月とバカンス

 日本では先行して普及した野球の人気に陰りが見え、伝統ある人気チームに代わり新興チームが成績面でも好調で首位を独走するという地殻変動が見られるようであるが、フランスにおいて1世紀を迎えたツール・ド・フランスの地位は磐石である。トニー・パーカーがNBAで活躍しようが、コンフェデレーションズカップでフランス代表が連覇を果たそうが、フランスの7月はツール・ド・フランスのためにある。そしてフランス人のバカンスはツール・ド・フランスのためにあるのである。(この項、続く)

このページのTOPへ