第220回 100周年を迎えたツール・ド・フランス(3) 100周年バージョンのマイヨー・ジョーヌ

■4つの色の特別なジャージ

 ツール・ド・フランスはチーム対抗、個人対抗が基本であるが、特別な選手が着用する4つの色のジャージ(フランス語でマイヨー)に関心を持っていただきたい。このジャージには黄色の「マイヨー・ジョーヌ」、緑の「マイヨー・ベール」、白地に赤い水玉の「マイヨー・ブラン・ア・ポワ・ルージュ」、そして白の「マイヨー・ブラン」がある。
 この中で、最も有名なのは黄色のマイヨー・ジョーヌであるが、これについては後述したい。ツール・ド・フランスは平坦なコースと山岳コースの2つに分けられるが、簡単に言えば平地の王者にスプリント賞というべき緑のマイヨー・ベールが与えられ、山岳の王者に山岳賞というべき赤い水玉のマイヨー・ブラン・ア・ポワ・ルージュが与えられる。そして新人賞に相当するのが25歳以下の選手で最も総合成績のいい選手に与えられるのが白いマイヨー・ブランである。

■スプリント賞のマイヨー・ベール、山岳賞のマイヨー・ブラン・ア・ポワ・ルージュ

 平地でのコースの場合、ゴールの多くは集団でゴールインするため、同タイムとなる。しかし、同タイムであっても着順によってタイムを加減算し、スプリントポイントとしてカウントする。またコースの途中にもスプリントポイントが設置され、このポイントの通貨順位に応じてポイントが付与される。これらのポイントを最も獲得した選手にマイヨー・ベールが与えられ、スプリントの王者として称えられるのである。
 一方、山岳コースでは各ステージの峠に設定された山岳ポイントの通過順にポイントが与えられ、この合計ポイントのトップの選手に与えられるのがマイヨー・ブラン・ア・ポワ・ルージュである。山岳コースの上りに強い選手は多くの場合、チームのエースであり、人気選手となることが多い。マイヨー・ベールの制定がツール・ド・フランス誕生50周年を記念した1953年であるのに対し、マイヨー・ブラン・ア・ポワ・ルージュの制定はそれよりも20年早い1933年であり、いかに山岳の王者が尊敬を集めていたかがお分かりであろう。

■総合王者のマイヨー・ジョーヌは100周年バージョン

 そしてスプリントあり、山登りありのコースで、総合王者の証しが、黄色のマイヨー・ジョーヌである。各ステージが終わった段階で、それまでの総合順位が1位の選手は表彰台でマイヨー・ジョーヌを授与され、翌日はマイヨー・ジョーヌを着用してレースに臨む。マイヨー・ジョーヌを着てフランスを走ることは世界中の自転車レーサーにとって夢であり、ゴールのシャンゼリゼでマイヨー・ジョーヌを受け取ることができるのは毎年1人だけである。
 さて、この最高のジャージの色には意味がある。これはこの制度が始まった1918年に主催者であったロート・ベロ紙(レキップ紙の前身)が黄色の紙に印刷されていたことに由来しているのである。近年はこのマイヨー・ジョーヌにスポンサーのロゴが入っていたが、100周年を迎えた今年はマイヨー・ジョーヌも特別仕様である。創設者のアンリ・デグランジュのイニシャルであるHDという2文字が胸に入っており、これは1984年以来のことである。また、レキップ紙はツール・ド・フランスがスタートした7月5日号は通常の白ではなく黄色い紙に印刷され、ツール・ド・フランス100周年を祝賀している。実はレキップ紙は、第二次世界大戦の混乱の中で廃刊したロート・ベロ紙の後継紙なのである。

■5連覇を狙うランス・アームストロング

 マイヨー・ジョーヌは過去4年間米国のランス・アームストロングが独占しつづけている。今年もアームストロングがチャンピオンとなれば通算で5度目の優勝となり、ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インデュラインという伝説のヒーローと並ぶ。そして同時にアームストロングは過去に類のない5連覇がかかっている。地元フランス勢の優勝は1985年のイノーを最後に途絶えている。この記念すべきHDの2文字入りのマイヨー・ジョーヌをシャンゼリゼで授与されるのは誰であろうか。(この項、終わり)

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