第439回 追悼、モナコ王国大公レーニエ3世

■55年の在位を誇ったレーニエ3世

 4月6日の朝、地中海に面する小国モナコの国家元首である大公のレーニエ3世が多臓器不全のため逝去した。3月初めから体調を崩し、モナコの病院で81歳の生涯を閉じたが、サッカーを含むスポーツ界に大きな貢献があることから、今回はレーニエ3世の功績を振り返り、その冥福を祈りたい。
 レーニエ3世は1923年5月31日にモナコの王家に生まれる。英国とフランスで初等教育を受け、パリ政治学院を卒業している。第二次大戦の末期にはフランス軍の砲兵隊将校として従軍し、フランス政府から勲章も与えられており、ノブレス・オブリッジの見本のような存在である。1949年には祖父のルイ2世が死去、本来ならば王位継承権を持つ母親の意向で大公に即位する。26歳で大公に即位して以来、現在まで55年にわたり国家元首の地位にあった。もちろん昭和天皇の在位64年には及ばないが、在位55年と言う在位期間は現在の欧州では最長であり、世界を見渡してもこれを上回るのはタイのアドンヤデート国王だけである。
 1956年にはカンヌ映画祭で知り合った女優のグレース・ケリーと結婚し、大きな話題となる。グレース妃は1982年に謎の交通事故死、そしてカロリーヌとステファニーの2人の王女もゴシップは絶えないという環境であるが、この王家の男性2人、すなわちレーニエ3世とその後継者となったアルベール2世は欧州の上流階級に共通のスポーツマンシップあふれた存在である。

■世界ラリー選手権とF1を開催するモナコ

 レーニエ3世というとグレース・ケリーとの結婚、カジノの誘致という華やいだ面ばかりが強調されるが、スポーツイベントの誘致とその維持と言う点では大きな貢献をしている。カジノの前からスタートするのがWRC世界ラリー選手権の開幕戦となるモンテカルロラリーである。スタートこそ華やいだ雰囲気であるが、雪の残るアルプス山中が戦いの中心となる。今年で73回目と言う古い歴史を誇る大会であり、数多くのドラマを演出してきたが、モナコ王室の支援無しにこれだけの長い歴史を重ねることは不可能だったであろう。
 そして同じモータースポーツではF1のモナコグランプリもある。世界ラリー選手権とF1の両方を開催している年は世界でこのモナコのモンテカルロだけである。1929年に始まったモナコグランプリは当時まだ皇太子だったルイ2世が米国のサンタモニカを真似て開催したものである。その後、公道でのグランプリの開催は期間中に町の機能が完全にストップするが、レーニエ3世を初めとするモナコの王室の理解があって現在まで継続している。このグランプリの大会委員長はレーニエ3世であり、表彰式には大公自身が参加する。まさに国を挙げてグランプリを運営しているのである。今回、レーニエ3世が入院した病院もこのモナコグランプリのコースに面しており、F1にかけるレーニエ3世の思いが伝わってくる。

■欧州にテニスシーズンの訪れを告げるモンテカルロオープン

 モナコのスポーツイベントはモータースポーツだけではない。4月11日から17日まで開催されているテニスのモンテカルロオープンはグランドスラムに次ぐマスターズシリーズに位置づけられている。欧州ではシーズンで初めて開催されるマスターズシリーズ以上のトーナメントであり、ローランギャロス、ウィンブルドンへと続く欧州のテニスシーズンの幕開けとなるトーナメントであり、今年で37回目の歴史を誇るがこの大会の誘致もレーニエ3世の功績である。

■プロサッカー選手を目指したこともあるスポーツ万能のアルベール2世

 そしてレーニエ3世を継承するアルベール2世は、スポーツ好きのレーニエ大公の影響を強く受けている。自動車のラリーに参加し、冬季オリンピックではボブスレーの選手として4回参加している。さらに柔道では黒帯を保持しており、スポーツ万能の新大公である。
 本連載の読者の皆様ならばサッカーのASモナコについてはよくご存知であろう。7回のリーグ優勝を誇り、1992年のカップウィナーズカップ、そして昨年のチャンピオンズリーグと欧州カップで2度決勝に進出している。レーニエ3世の死去に伴い、喪に服す意味でクラブは4月10日に予定されていたリーグ戦第32節のリール戦の延期をリーグ側に提案、リーグ側もこれを受け入れ、ジャン・フランソワ・ラムール青少年・スポーツ・市民活動大臣も声明を発表している。レーニエ3世の時代に実現できなかった欧州制覇を、プロサッカー選手を目指したこともあるアルベール2世に捧げることはできるのであろうか。改めてレーニエ3世のご冥福を祈りたい。(この項、終わり)

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