第742回 2007年ツール・ド・フランス(4) ニコラ・サルコジ大統領が観戦

■休息日明けは3つの峠が待つ厳しいステージ

 7月16日の最初の休息日を迎える段階で、デンマークの山岳王ミカエル・ラスムッセンが総合首位の座を射止めた。7月7日にロンドンを出発して以来、9日連続してレースが行われ、走行距離は1553.4キロメートル、首位のラスムッセンの通算タイムは39時間37分42秒である。特に休息日前はティーニュへの登攀コースとなっており、この休息日は選手たちにとって何よりもありがたい1日であろう。
 そしてレースが再開する第9ステージは標高1885メートルのバルディゼールを出発し、標高1330メートルのブリアンソンへ向かうコースである。スタートとゴールの標高だけを比較すれば山下りに見えるが、途中に標高2770メートルのイゼラン峠、標高1566メートルのテレグラフ峠、標高2645メートルのガリビエ峠と3つの峠を越さなくてはならない。したがってかなり厳しいコースである。

■しばしはツール・ド・フランスを観戦したサルコジ大統領

 この17日の第9ステージはコースの厳しさだけが話題になったわけではない。今年5月に就任したニコラ・サルコジ大統領が観戦に訪れたのである。サルコジ大統領自身が最初にツール・ド・フランスを観戦したのは1968年、ロワイヤンでのことである。ロワイヤンといえば日本の皆様はジャン・ラボルドを連想される方が少なくないと思うが、実はサルコジ大統領もロワイヤンに縁があるのである。サルコジ大統領は自転車を愛用するとともにヌイイー・シュール・セーヌ市長時代からツール・ド・フランス観戦に訪れている。特に2004年大会はベルギーのリエージュのスタートに立ち会っている。
 大統領就任直前に行われたフランスカップ決勝に姿を現さず、お気に入りのパリサンジェルマンの試合以外は足を運ばないのかという声もあったが、6月日の欧州選手権予選のフランス-ウクライナ戦にはロッカールームまで姿を現し、確執のあったと言われるリリアン・テュラムとも言葉を交わしている。

■多忙な政治日程の中、大会本部車から身を乗り出して応援

 そのサルコジ大統領の政治日程はバカンスシーズンを迎えても空白となることはない。16日にはトゥールーズで仏独首脳会談があり、18日にはモナコのアルベール王子との会見がある。そのような日程の中で17日はなんとかツール・ド・フランスを見に行く時間を捻出することができた。サルコジ大統領はヘリコプターで駆けつけ、赤い大会本部車に大会総合ディレクターのクリスチャン・プルドームとともに乗りこむ。ワイシャツにネクタイと言ういでたちで、身を乗り出し、エネルギッシュな姿を見せる。この日もサルコジ大統領は家族をおいて、単身でアルプスのふもとに駆けつけたのである。正午過ぎのスタートから選手を先導し、夕方のゴールでは優勝者を追走した。
 現役大統領のツール・ド・フランス観戦は1998年のジャック・シラク大統領以来9年ぶりのことである。実はフランスの第五共和制以降の大統領はシャルル・ド・ゴールにはじまり、ジョルジュ・ポンピドー大統領を除いて全てこのツール・ド・フランスを観戦している。しかもパリのエリゼ宮の近くのゴールで観戦するのではなく、地方に出向いて観戦しているのである。さらに、唯一ツール・ド・フランスを観戦していないポンピドー大統領も自転車レースはしばしば観戦しており、ロードレースではなく競技場でのレースを好んだと言われる。

■難コースを制したのはコロンビア人、クリストフ・モローも順位をアップ

 そしてゴールの後で、サルコジ大統領はこの第9ステージの優勝者を讃えた。この日のステージ優勝は24歳のコロンビア人、マウリシロ・ソレルである。コロンビア人の優勝は7年ぶりのことである。
 そして自国の大統領が観戦に訪れて、フランス人選手が奮起しないわけがない。フランスのエースであるクリストフ・モローはこの第9ステージの順位は11位であったが、総合順位を1つ上昇させて6位になった。総合首位のラスムッセンとは3分18秒差である。ここからコースは南仏を通り、ピレネーに向かい、ゴールのパリを目指すのである。(続く)

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