第763回 アルゼンチンに開幕戦で敗れる(2) ボールを支配するもノートライで完敗

■決勝トーナメントまで視野に入れたグループリーグ

 開催国として優勝を狙うフランスは開幕戦で苦手のアルゼンチンと戦う。フランスが勝たなくてはならない理由が2つある。まずグループDは前回紹介したとおり、世界ランキング3位のフランス以外に5位のアイルランド、6位のアルゼンチンがひしめき合う「死のグループ」である。上位2チームが決勝トーナメント進出という条件であるが、このレベルのチームになると決勝トーナメントまで視野に入れなくてはならない。
 グループDを首位で通過すると、決勝トーナメント1回戦ではグループCの2位チームと対戦するが、グループD2位の場合は決勝トーナメント1回戦でグループCの首位チームと対戦する。グループCの首位チームは間違いなくニュージーランドであろう。
 現在、ニュージーランドは世界最強と目されている。北半球では敵なしのフランスも6月にニュージーランド遠征を行ったが、11-42、10-61と大差を付けられて連敗している。したがって、決勝トーナメント進出ですら困難なグループDの各チームは決勝トーナメントの1回戦でのニュージーランド戦を回避するためには、グループリーグを首位で突破する必要があり、グループリーグの首位通過のために全勝が望まれるのである。

■1月半にわたる戦いがキックオフ

 かつての名選手が一堂に会した開幕セレモニーに続いて9月7日21時、フランスのSOダビッド・スクレラのキックオフにより、10月20日まで続くことになるワールドカップの長い戦いが始まった。
 開幕戦であり、大一番であるフランス-アルゼンチン戦のメンバーであるが、フランスは前回大会のヒーローであるジャン・バプティスト・エリサルド、フレデリック・ミシャラクが先発メンバーから外れる。一方のアルゼンチンはメンバーの15人中9人がフランスリーグに所属する選手となった。

■苦手アルゼンチンに追いつけず

 試合は立ち上がりから地元フランスがボールを支配する。ところが5分に中央付近でピエトル・ドビリエがノットリリースザボールの反則を取られ、自陣45メートルの地点でPKを与える。この長い距離のPKをアルゼンチンのフェリペ・コンテンポニが見事に決めて、スタッド・ド・フランスは凍りつく。その2分後フランスもスクレラがPKを決めて同点に追いつく。しかしこれがこの試合でフランスが同点に追いついた最初で最後の時間帯となった。その2分後にアルゼンチンはフランスのゴールラインから20メートルでPGのチャンスをつかみ、難なく成功させてリードを奪う。その後、フランスがボールを支配するがアルゼンチンの執拗なタックルによりフランスは攻め込むことができない。逆にフランスは23分にゴールラインから10メートルで痛恨のペナルティ、これをアルゼンチンに決められ、3-9とリードを広げられる。
 さらに、28分にはこの大会初めてのトライをアルゼンチンのFBイグナシオ・コルレトが記録する。コルレトは代表デビューが1998年9月15日の日本戦、サッカーのワールドカップで日本がトゥールーズで敗れた雪辱を秩父宮ラグビー場で果たしたのを日本の皆様ならばよくご記憶であろう。その翌年にアルゼンチンはワールドカップで日本を下したが、この試合がコルレトにとって初めてのワールドカップでの試合である。そして日本のファンよりもコルレトを知っているのはこの日スタッド・ド・フランスに集まった8万人の観衆である。コルレトはスタッド・フランセの一員として何度も満員の観衆の前でプレーしてきたのである。コンテンポニのゴールキックはゴールポストに当たって失敗したが、アルゼンチンは14-3とフランスを大きくリードしたのである。フランスは31分にPGで3点を返し、その後もボールを支配する展開は変わらないが、追加点をあげるにいたらず、逆にアルゼンチンに34分にPKを許し、前半終了間際にようやくスクレラがPGを決めて9-17と言うスコアでハーフタイムを迎える。
 後半も試合の展開は同様で、ようやく60分にPGで12-17と迫り、トライで同点となるところまで追い上げ、ボールを支配するが、ノートライに終わる。フランスはボール支配率が6割を越えたものの、12-17で苦手のアルゼンチンに敗れたのである。

■ショッキングな開催国の敗戦、他競技にも影響

 開催国がグループリーグで敗れたのは1991年大会のイングランドがニュージーランドに敗れて以来、大会史上2回目のことである。この敗戦は他の競技のフランス代表に影響を与え、翌日と翌週に行われたサッカーの欧州選手権では2試合で勝ち点わずかに1、そして男子バスケットボールの欧州選手権では準々決勝でロシアに敗れたのである。(この項、終わり)

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