第765回 グループ2位で決勝トーナメント進出(1) ナミビアに新記録ラッシュの大勝

■アフリカナンバーツーのナミビア相手に大勝が必要なフランス

 第762回と第763回の本連載で紹介したとおり、ワールドカップ開幕戦のアルゼンチン戦にフランスは敗れてしまい、早くも黄信号がともった。ボールを一方的に支配しながら得点を奪うことができず、キックによる得点のチャンスにも失敗することが多く、ベルナール・ラポルト監督は窮地に追い込まれた。
 フランスの第2戦は開幕戦から9日も間を空けた16日のナミビア戦である。アフリカでは南アフリカの力が抜きん出ているが、1990年に独立したナミビアはそれに次ぐナンバーツーの力を持ち、1999年大会から3大会連続出場を果たしている。ワールドカップではこれまで全敗である。また、ナミビアはフランス戦の前にアイルランドと対戦し、17-35と言うスコアで敗れているが、後半だけを見れば14-15とほぼ五分の戦い、終了10分前には17-27と10点差に迫っている。さらに歴史を紐解けば、1999年のワールドカップがフランスとの唯一の対戦であり、この時はフランスが43-18で勝利しているが、独立前の南西アフリカ時代はフランスと引き分けたこともあり、決して侮れない相手である。
 すでにアルゼンチンに敗れてしまったフランスにとっては、アルゼンチン、アイルランドとの首位争いには通常の勝ち点だけではなく、4トライや7点差以下の負けに与えられるボーナスポイントが重要になってくるため、勝利だけではなく、大量のトライを奪って勝利することが必要になる。

■青いジャージーのナミビア、白のフランスはメンバー一新

 ナミビアのファーストジャージーの色は青である。アイルランド戦ではアイルランドのボーナスポイント獲得阻止を願ったファンにより、通常はフランス代表の試合の際に起こる「アレ・レ・ブルー(青、がんばれ)」の大合唱が、ボルドーのシャバン・デルマス競技場に沸き起こったのである。
 そしてこの日もナミビアは青いジャージーをまとい、白いセカンドジャージーのフランスに挑戦する。ワールドカップ終了後に大臣の座が約束されているラポルト監督はアルゼンチン戦とメンバーをがらりと変えてきた。先発メンバーのうち12人を入れ替え、連続先発出場となるのは3人だけ、うち同じポジションは2人とメンバーを一新して第2戦に臨んだ。

■新メンバーが活躍、トライラッシュで87-10と大勝

 試合はジャン・バプティスト・エリサルドとフレデリック・ミシャラクがハーフ団のフランスが面白いように支配する。7分にはアルゼンチン戦ではFBを務めていたWTBのセドリック・エイマンが先制トライ、10分にナミビアもDGで反撃する。しかし、ナミビアは12分にはDGを決めたSOのエミール・ウェッセルスが負傷で交代、さらに19分にはフランカーのジャック・ニューウェンハウスが危険なタックルで退場処分、残り1時間以上を14人で戦うことになる。
 一方、フランスのボール支配率はほぼ70%、このボールをBK陣が次々とインゴールに持ち込む。特筆すべきは左WTBのバンサン・クレルクである。この試合で3つのトライを決める。また、人気者のロックのセバスチャン・シャバルも2つのトライをあげる。そして最終的には13のトライを記録したのである。さらに、特筆すべきはキッカーのエリサルドである。13回のコンバージョンのうち、11回のゴールを成功させる。エリサルドは自身の1トライと合わせて27得点をマークしたのである。試合終了直前にナミビアにトライを許したものの、最終スコアは87-10とフランスが大勝する。

■新記録ラッシュの大勝で第3戦以降に希望

 この試合はいくつもの新記録が生まれた。まず、87点はフランス代表史上最多得点、そして77点差も史上最多得点差である。これまでの記録は2001年11月24日のフィジー戦(77-10でフランスが勝利)ので作られたものであった。
 13トライは1924年のルーマニア戦、1987年のジンバブエ戦と並ぶタイ記録となった。そしてトライ後の11ゴールは新記録である。ちなみにこれまでの最多ゴール数は9、1967年のイタリア戦と1987年のジンバブエ戦で記録したものであるが、イタリア戦はギ・カンベラベロ、ジンバブエ戦はディディエ・カンベラベロと親子が記録を持っていた。エリサルドも父のジャン・ピエール・エリサルドはフランス代表歴があり、これも何かの縁であろう。
 このナミビア戦はスコアだけではなく、その試合内容もすばらしく、新メンバーが見事に期待にこたえ、第3戦以降に希望が膨らんだのである。(続く)

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