第771回 決勝進出かけてイングランドと対戦(1) ジョニー・ウィルキンソン復帰で勢いづくイングランド

■北半球の2強、フランスとイングランド

 前々回と前回の本連載では準々決勝でフランスが優勝候補のニュージーランドに見事な勝利を上げたことを紹介したが、準決勝の相手はイングランドとなった。
 フランスはこれまでのワールドカップでは準優勝2回、3位1回、4位1回、準々決勝敗退1回と北半球勢の中で最も安定した成績を残している。一方のイングランドは前回大会では優勝を果たしているが、準優勝1回、4位1回、そして準々決勝敗退が2回であり、フランスと並ぶ成績であり、北半球の2強であると言えよう。
 しかし、今大会もそうであったように、イングランドは決勝トーナメントにたどり着いた、というイメージが強い。フランスが今大会までのグループリーグで勝利を逃したのはわずかに2回、1987年大会のスコットランド戦の引き分けと今大会のアルゼンチン戦だけであり、6大会中5大会で首位通過を果たしている。一方のイングランドはグループリーグで4回も負けており、首位通過したのは6大会中2大会だけ、1999年大会はプレーオフを経由してようやく決勝トーナメントにたどり着いている。

■直接対決ではイングランドが優勢

 このようにワールドカップでの成績はフランスの方が安定しているように感じられるが、直接対決となると別である。
 これまでにフランスはワールドカップでイングランドと3回対戦している。最初は1991年大会の準々決勝、イングランドをメインとして行われた1999年大会であったが、イングランドはグループリーグでニュージーランドに敗れ、グループ2位となってパリのパルク・デ・プランスでフランスと戦う。アウエーゲームとなったが、イングランドがフランスを19-10と振り切り、決勝まで勝ち残った。
 2回目の対決は1995年大会の3位決定戦である。このときはフランスが19-9と勝利しているが、フランスのほうが日程的に休養日が1日多く、ほぼベストメンバーで戦うことができたため、あまり参考にはならないであろう。
  そして記憶に新しいのは前回大会で、本連載第261回で取り上げたとおり、24-7とイングランドが勧奨しており、今までの対戦成績でフランスは1勝2敗と負け越しているのである。

■ウィルキンソン離脱とともに輝きを失った世界チャンピオン

 イングランドはディフェンディングチャンピオンであり、2003年大会優勝の立役者はジョニー・ウィルキンソンである。しかし、ラグビー界のマイケル・オーウェンと言われたウィルキンソンは、前回大会が終わってからは不調で、代表から外れてしまった。ウィルキンソンの離脱とともにイングランド代表は低迷し、6か国対抗の栄冠は2003年を最後に遠ざかり、昨年秋には新装成ったトゥイッケナム競技場でニュージーランド、アルゼンチンに敗れ、テストマッチで7連敗と言う不名誉な記録を作り、ブライアン・アシュトン新監督が就任する。そして今年の6か国対抗ではウィルキンソンが4年ぶりに代表チームに復帰するが、アイルランドに13-43とワーストスコアで敗戦する。そして大会直前の8月にフランスに連敗し、ワールドカップ開幕を迎えたのである。
 今大会もイングランドはグループリーグでは苦戦を強いられ、南アフリカに0-36と完封負けを喫し、最終戦のトンガ戦でようやく決勝トーナメント進出を決めた次第である。

■ベロドローム競技場で万雷の拍手を浴びたウィルキンソン

 準々決勝では豪州と対戦した。豪州は日本と同じグループBであったことからその強さについて改めて紹介する必要もないが、グループリーグでは4戦全勝、4戦全てで4トライ以上上げてボーナスポイントを獲得したのはニュージーランドと豪州だけである。
 豪州の勝利は確実と思われていたが、マルセイユのベロドローム競技場では奇跡が起こった。SHジョージ・グレーガン、SOステファン・ラーカムが構成する豪州のハーフ団は世界一と評されていたが、SOのラーカムが負傷のため欠場する。一方のイングランドはグループリーグで1勝1敗と窮地に追い込まれた第3戦のサモア戦から出場したウィルキンソンがSOを務める。イングランドのFWの頑張りから得たPGをウィルキンソンは次々と決め、ラーカム不在で攻め手を欠く豪州にノートライながら12-10と逆転勝ちする。得点差はわずかであり、イングランドはトライ数では下回っているが、内容的には完勝であった。これだけベロドロームで大喝采を浴びたイングランド人は1990年前後にマルセイユに所属したクリス・ワドル以来のことであろう。南アフリカに惨敗したときも当然と受けとめる声が多かったが、4年前のヒーローが1人でこの流れを変えた。そしてこの流れはスタッド・ド・フランスではどうなるのであろうか。
 南アフリカに惨敗したときも当然と受けとめる声が多かったが、4年前のヒーローが1人でこの流れを変えた。そしてこの流れはスタッド・ド・フランスではどうなるのであろうか。(続く)

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