第3292回 フランスの至宝、ビクトール・ウェンバンヤマ (1) NBAから注目された逸材

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■スポーツ一家に生まれたビクトール・ウェンバンヤマ

 大谷翔平のロサンゼルス・エンゼルスからロサンゼルス・ドジャースへの10年契約7億ドルのニュースはフランスでも大きく報道され、日本人アスリートの優秀さ、米国のスポーツビジネス市場の巨大さを改めて認識した次第である。多くの日本人アスリートが世界中で活躍しているが、フランス人も負けていない。その代表が今回紹介するバスケットボールのビクトール・ウェンバンヤマである。
 ウェンバンヤマは2004年1月4日生まれの19歳、ベルサイユ近郊のルシュネで生まれている。ルシュネは大石良太の描いたサンタントワン・ド・パドゥ教会が有名であるが、ニコラ・アネルカの出身地でもある。ウェンバンヤマの父はコンゴ民主共和国出身で2メートル以上の身長を誇る陸上競技の選手であり、母も1メートル90センチを超える元プロバスケットボール選手、母方の祖父母もバスケットボール経験者であった。

■メトロポリタンズ92に移籍してきたウェンバンヤマ

 そのように恵まれたアスリートの家系で生まれたウェンバンヤマはフランスの一般的な少年がそうであるようにサッカーと柔道を幼少時に始めた。しかし、7歳の時にバスケットボールを始め、姉も弟もバスケットボールの選手でありアンダーエイジのフランス代表となっている。
 10歳の時には1部リーグのナンテール92の下部組織に入った時にすでに身長は1メートル90センチを超えていた。年代別の様々な国際大会で特筆すべき成績を残したウェンバンヤマは14歳の時にはバルセロナ(スペイン)から声もかかったが、そのまま地元のクラブに残る。そのウェンバンヤマが初めてプロの試合に出場したのは15歳の時、2019年の秋のことであった。2020-21シーズンにはリーグの最優秀若手選手に選出される。17歳となった2021年夏には強豪のリヨン・ビルウルバンに移籍し、2年連続でリーグの最優秀若手選手賞を受賞し、クラブの首脳からも期待されていたが、2022年夏には地元のメトロポリタンズ92に移籍することになる。

■強豪ではないメトロポリタンズ92がシーズン中に北米に招待される

 このクラブは19世紀に創立した名門ラシンクラブを源流とする。ラシンが1990年代にパリサンジェルマンに買収され、PSGラシンとなってもなかなか優勝争いに絡めず(同時期のサッカーのパリサンジェルマンも同様であった)、2007年に高級住宅地として知られるルバロワと合併してパリ・ルバロワとなる。NBA選手を獲得してタイトルを獲得したこともあったが、1部リーグに残留するのがようやくというチーム力、2017年にはパリ市が手を引いてしまい、チーム名もルバロワ・メトロポリタンズとなる。2019年には元NBAプレーヤーでフランス代表としても活躍したボリス・ディアウがクラブの会長に就任、ブローニュ・ビヤンクール市がこのクラブの経営権を買い取り、チーム名もメトロポリタンズ92(92はブローニュ・ビヤンクール市やルバロワ市のあるオー・ド・セーヌ県の件番号である)となった。
 そのように現在は強豪ではなく、国内外で目立った成績を残していないメトロポリタン92であるが、ウェンバンヤマの加入で注目を集めることになった。NBAがシーズン開幕を控えた2022年10月にはこのクラブがシーズン中であるにもかかわらず、米国西海岸に招待されたのである。遠征先でメトロポリタンズ92は、若手育成を目的とするNBAが支援するGリーグのイグナイトとエキシビションマッチを行ったのである。この異例な北米遠征が行われたのはNBAの関係者がウェンバンヤマのプレーを直接見るためである。

■ドラフト候補のスクート・ヘンダーソンとの対決

 イグナイトには大学に進学せずに入団し、2023年のドラフトの目玉と目されるガードのスクート・ヘンダーソンが所属していた。ウェンバンヤマとヘンダーソンのマッチアップを見るためにNBAのスカウトや経営者が200人も集まったのである。メトロポリタンズ92とイグナイトの対戦は1勝1敗に終わったが、2人の対決はウェンバンヤマに軍配が上がる。ウェンバンヤマは2試合で73得点、9ブロック、試合がNBAルールで行われたことを考えればさらにこの数字が驚異的なものであることがお分かりであろう。
 そして2023年6月22日のNBAのドラフトの日がやってきたのである。(続く)

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