第72回 開幕戦でセネガルに敗れる(2) 敗因2:ディディエ・デシャン引退後初めてのタイトルマッチ

■高齢化したDF陣のスピードの欠如、重なる不運

 前回の連載ではセネガル戦の敗因としてあげられるジネディーヌ・ジダンの欠場について、ジダン欠場時のバックアップの選考を問題視した。セネガル戦の敗因としてジダン欠場以外に、高齢化したDF陣がセネガルのスピードについていくことができなかったこともあげられている。DF陣のスピード不足は事実であり、圧倒的なボール支配をしていても守備の意識を常に持続してはならなかった。
 そして、失点そのものはゴール前の混戦で実に不運とししか言いようのない転倒していたブーバ・ディオップの左足のところにボールが転がったためである。前半はダビッド・トレゼゲのシュートがゴールポストに、後半はティエリー・アンリのシュートはクロスバーに嫌われたこととあわせ、運の無さもまさかの敗戦につながったのである。

■キャプテンシーの欠如

 DF陣の高齢化については今に始まったことではない。すでに前回のワールドカップ時からレギュラーのビシャンテ・リザラズ、ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、リリアン・テュラムというメンバーは参加32チーム中最も高齢化したDF陣であり、その中のブランに代わり、ブランよりも2才3か月だけ若いフランク・ルブッフが入っただけである。また、運の無さについてはサッカーならば付き物である。
 それではなぜ1998年ワールドカップ・フランス大会、2000年欧州選手権・ベルギー・オランダ大会で連覇できたのであろうか。それはひとえに強いキャプテンシーを持った選手が「運を引き寄せた」ということに他ならない。二冠を獲得した守備陣のフィールドプレーヤーで抜けたのはディディエ・デシャンとローラン・ブラン、この2人に並ぶようなキャプテンシーの欠如が親善試合ではないタイトルマッチでの敗戦につながってしまったと言えよう。

■苦戦続きの二冠獲得

 前回のワールドカップで言うと決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦ではパラグアイの堅守に手を焼いた。その試合にピリオドを打ったのは攻撃参加したブランのゴールデンゴールである。また続くイタリア戦もイタリアのカウンターアタックを耐え忍び、PK戦に持ち込んだ。準決勝のクロアチア戦は先制点を許したが、落ち着いた試合運びで逆転している。決勝トーナメントで楽勝したのは決勝のブラジル戦だけである。
 続く欧州選手権ではさらに苦戦を重ねている。楽勝したのは開幕戦のデンマーク戦だけであり、決勝トーナメントに入ってからはスペイン戦、ポルトガル戦と負けてもおかしくない内容の試合が続いた。ポルトガル戦ではフランスにとって幸運なPKの判定もあった。決勝のイタリア戦に至っては同点に追いつくことができたこと自体が奇跡に近い。
 このような苦戦を次々にものにできたところにフランスの強さがあり、それはデシャンやブランのキャプテンシーが運を引き寄せたのであろう。

■デサイーのキャプテンシーに期待

 デシャン、ブランと比較すると現在は主将をデサイーが務めているが、セネガル戦を見てわかるとおり、自分のポジションをこなすので手一杯と言うところである。特にコンビを組むストッパーのルブッフもベテランであり、相手のFWを抑えるので精一杯で、デサイーがキャプテンとしてコーチングする余裕は無い。一方、先代の主将のデシャンは2人の守備的MFの1人として機能したため、常に余裕を持ってグラウンド全体を見渡し、チームメートを叱咤激励することができた。特に守備的MFにパトリック・ビエイラという人材を得て守備的MFのコンビを組むようになってからは体力的に下り坂のデシャンは主将としての色彩を強めることが可能となった。
 デサイー自身のキャプテンシーと言うよりはデサイーのキャプテンシーを十分に引き出すためのチーム作りができていなかったのではないだろうか。デシャンの代表からの引退は2000年9月のイングランド戦。それ以降数多くの試合を戦ってきたが、実はセネガル戦はデシャン引退後初のタイトルマッチである。デシャンのいないタイトルマッチでの敗戦というと1996年6月26日、マンチェスターのオールドトラフォードでの欧州選手権準決勝のチェコ戦が思い起こされる。スコアレスドローの末PK戦での敗北となったが、この試合デシャンは負傷により欠場していた。デシャンがいればエメ・ジャッケ率いるブルーは2年早く頂点に立っていただろうと言われる。
 逆に、今後の試合でデサイーのキャプテンシーが引き出されるようなチームになれば、セネガル戦の悪夢から立ち上がり、栄冠も夢ではないであろう。(続く)

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